Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.12.24

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その14

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 教学(2)管理人註

中斎の志

文政十一戊子の歳十一月を以て、王陽明を洗心洞の学堂に祭 る。其文の要に曰く。  維大日文政十一、歳戊子に次す、十一月二十有九日、浪花  市吏大塩後素謹て清酌庶羞之奠を以て昭かに明の新建侯陽  明王先生の霊を祭る、嗚呼先生は豪傑にして聖賢、武略に  して文章、冦賊を征誅し、衆生を開導す、当代の孔孟、後  世の伊姜(中略)予異域数百歳の後に生れ要領を討ね難し、  黙々株守、頭を出すこと能はず、猿に庶し、夢の間人  あり相授く、授る所は果して何ぞや、誠意の講を聴き、偶  全書を購ふ、一二句を読み、忽ち心の非を知り、又た学の  謬を識り、専誠研磨心肺の疚に嬰り、死せんと欲すること  再三、薬救奏せず、祖母病て卒し、外祖寿を終ふ、悲哀骨  を刺し、病勢益厚し、何の幸か反て蘇す、誰の救たるを知  らず、在天の霊か、然らずんば天祐か、断然志を立て敢て  口を事とせず、躬行実践宋負くなし、願くは先生予を助  て此心をして朽ちざらしめよ、身を殺して仁を成すは、固      ツト  より予の懋むる所なり、清明在すが如く、霊鑑何そ咎めん、  嗚呼格死す、予の祭祀を享けよ、 徳業を仰ぎ、遺沢を讃すること、縷々三百三十有五字。中斎 が初めて良知の霊機に触れし状を告げ、又所願を陳へて曰ふ、 願くは先生予を助けて、此心をして朽しめざれ。身を殺して 仁を成すは、固より予が懋むる所と。在天の王陽明、必すや 斯の祝言を納れん。中斎は、業已に此確乎不抜の志気を有す。 是れ彼が後日饑饉の時に際して。殺身成仁の言を実践したる 所以なり。 其後文政十三、即天保元庚寅の歳、決然勇退して後は、純然 たる洗心洞の厳師として、開導誘掖に心を竭くす。遠近教を 請ふ者千有余人。中斎自ら其志望を述べて曰く、吾既に職を 辞して、而して隠を甘んず、険を脱して、而して安に就く、 宜しく高臥して、労苦を舎て、以て自性を楽むべし。然るに 夙に興き夜はに寝て、経籍を研き、生徒に授くる者は、何ぞ や。此れ是れ事を好むにあらず、是れ口を糊するにあらず。 詩文の為めならず。博識の為めならず。又た大に声誉を求む るを欲せず、再び世に用ひらるゝを欲せず、只学で厭はず、 人を誨へて倦まざるの陳迹を粉し得んのみ。世人怪む勿れ。 又罪する勿れ。嗚呼、心、太虚に帰するの願は、則ち誰か之 を知らん。我独り自から知るのみと。

   
  


石崎東国『大塩平八郎伝』その39


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