第一 太虚の体
中斎は、虚と云ふ一條の金管を以て、大は宇宙の太虚より、
小は原子間の空隙に至るまで、悉く之を貫通網羅せんとす。
換言せば、彼は有形的空虚と、無形的空虚とを論せず、主観
的と客観的とは問はず、自然的と人為的とを言はす、悉く相
融通して無礙なるものとす。最初に天と云ふ語を以て蒼々た
る太虚と、石間虚、竹中虚と谷神即人心を融通了得せり。其
ハ ニ リテ ニ タル ノミ モ ノ ノ ト
言に曰く、天不特在上蒼々太虚已也。雖石間虚。竹中虚。
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亦天也。況老子所云谷神乎。谷神者。人心也。故人心之妙
シ テ ニ シ ス ハ チ ス ヲ ンゾ ラン ルニ レヲ
与天同。於聖人可験矣。常人則失虚。焉足語之哉。中
斎は、努めて空語を避け、必らす其験符を求む。故に毎語の
終には、必す其実用すへきことを以てせり。己に天人共に太
虚なりと雖も、私欲の為めに、心の虚を失へるものは、共に
其妙を語るを得ず。只聖人に於て之を験すへきのみと云へり。
又曰く、身外之虚者。即吾心之本体也、と。其語極めて大な
り。故に或は之を了解すること難からん。所謂其大を語れば、
天下能く戴するなしと云ふもの是なり。然れども其序を追て
之を語れば、其義甚た暁得し易きものあり。故に彼れ曰く、
ハ ト ハ ト
方寸之虚与口耳之虚本通一。而口耳之虚。即太虚通一。而
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無際焉。包括四海。含容宇宙不可捉捕者也、と。此の
如く説き来れば、天下能く戴するなきの大も、了々然として
理解し得て、手の舞ひ足の踏むことを覚えさるものあらん。
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