Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.12.27

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その17

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(2)
  第一綱領
   ― 太虚説(3) 第一 太虚の体(2)
管理人註

   

以上の如く融通普遍にして、方寸の虚は直に宇宙を含有すべ しと雖も、若し其間一片の障礙来らんか、忽ち一大変動を見 ん。其変動たる、直に死生に関するものにして、心の虚盈は、 即ち生死と云ふべく、其の虚は、実に生命の妙機なり。故に        ハ        カラ ル   シテ セ    シ テゝ  レバ セ 曰く方寸之虚与太虚刻而通也。如隔而不通焉。 チ ナル  ニ     トナレバ   ヲ ク     ヲ          ハ   ヂテ 則非生人也。何者今以物塞乎口中。即方寸之虚。閉而呼   チ    チ ル   ト   ニ      ハ     カラ ル シテ セ     ニ 吸絶矣。忽為死人。故方寸之虚。不刻通於太虚也。   シ     テ            タルヲ 是無他。以太虚即心之本体也と。説き得て明切、更に疑ふ へきなし。然れども彼は世人が此妙理を誤解せんことを恐れ たり。故に種々の方面より太虚の妙を説けり、即ち理気合一 より太虚を言へり。人若し理気合一を了解すれば、太虚は、 則ち理気に外ならざれば、自ら之に悟入するを得ん。若し理 気を離れて太虚を言はゝ、荒唐無稽の太虚と成り了りて、我                 スレバ     ヲ      モ 所謂聖人の道にあらすと。彼曰く了理気合一。則太虚亦惟     ノミ  モシ レテ ヲ     フ   ヲ  ハ   ル              ニ 理気焉耳。如離理気。而言太虚者。非四書五経聖人之道 也と。此点に在て釈老に陥り易きものあるを以て、特に理気 を以て之を説く、尽せりと謂ふべし。今、藤樹の解説を以て 之を説かば、方は理なり、寂然不動に象り、円は気なり、流 行活動に象る。此理気之を太虚となすなり。釈老の太虚は、 寂然不動のみにして、所謂稿木死灰の如きものなり。流行活 動、生々不息の妙機なし。此一点は、我道と釈老との同しか らさる所にして、之を区別すること極めて緊要なりとす。

   


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