Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.12.28

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その18

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(4)
  第一綱領
   ― 太虚説(4)
管理人註

心は心臓 なり 心体を説 く

中斎は、心と云ひ、方寸の虚と云ひ、又た太虚と説くこと甚 た多し。而して此等の虚は、相互に連絡するものとす。今、 中斎が所謂心とは、如何なるものを指すか方寸の虚とは如何 なるものなるかを討究するは、尤も緊要なる事と信ず。夫れ 中斎が心と云ふは、即ち五臓中の心臓を指して云ふものなり。 心臓は、即ち心にして、此外別に心あることなしと云ふ。而 して五臓中の心臓は、其大さ僅に方一寸なりと。彼れ曰く ハ チ      ニシテ    ニ ラ   ナル            ハ   ニ 心即五臓之心。而不別有心也者也。其五臓之心。僅方一寸。    ス   ヲ 而蘊蓄天理焉と云ふ。然らば則ち心は、即ち方寸の虚にし て、天理を包含するものと云へり。而して中斎は、唐凝庵の                   ク   ハ   キ レ ノ 説を引き、其説を証して曰く、唐凝庵曰。性不是此気之 メテ ル     ニ   テゝ ヲ          ルヲ    ハ   ギ       ニ 極有條理。舍気之外、安得性。心不五臓之心テゝ  ヲ  ギ    ンソ ン ルヲ         ハ  リ       ニ   チ五臓之外。安得心。心之妙処。在方寸之虚。則性之   宅也と。此に由て之を観れば、心臓を以て仁義礼智の出つ る所にして、一切の徳義は、悉く此れより出つとしたる説は、 中斎に在りては創見なれども、之と暗号する説は、既に以前               シテ  レ セ   ス ヲ より在りしなり。故に、吾説不与之期而同符と云へり。 従来、心とは何そやと云ふ問題は、困難にして、今日と雖も、 明確に一定せる説なきが如し。而して心臓を指して心なりと 云ふ説は、業已に勢力なきが如し。然れとも其心臓即心と云 ふ心は、如何なるものかと云ふに、中斎は之を解して虚霊な るものにして、善悪共に無く、虚空なれば能く神明の用を為              ハ             ヨリ シ トモ ト  カラ すと云へり。即ち曰く、心体虚霊而已矣。悪固無雖善不 ル  モシ ヅ リテ   ケバ レヲ       ニ ル ハ スコト テ 有。如先有善而塞焉。則神明終不用也と。其意を尋 ぬるに、虚霊にして神明の用を為すものと云へは、朱子の所   ハ       ヘテ ヲ スル ニ 謂心者人之神明。所以具衆理而応万事者也と云ひ、又、 心者虚霊不昧と云ふと異なることなし。而して心に善なく 悪なしと云ふは、陽明子の所謂無善善悪之体。と云ふに同 し。而して其無善無悪の心は、即ち太虚なれば、君子は到知 格物し、以て其体に帰せんことを務む。已に太虚の体に帰す れば、万事万物は皆な其中に涵容し、日用の応酬より、以て 天地位し、万物育するの最大功徳に至るまて、皆此より出つ と云へり。心を説く、蓋し尽せりと謂つべし。

   


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