第二 太虚の用
中斎既に太虚の体を説くこと、周到なりと同しく、其用を
説くも頗る精緻を極めたり。彼は虚の種類を自然的と。人
ハ リ ト ノ
為的との二つに分てり。其言に曰く、虚亦有人為之虚与
ハ チ
天成之虚之別。人為之虚者即宮室空豁之類也。天成之虚
ハ チ シテ ナヲ ハ ナ ム
者即人物心口之類也。人為之虚乃不霊而天成之虚皆含其
ヲ シテ ケ ヲ テ モ
霊而人受之以最秀者也と。是れ二種の虚なり。而して天
成之虚の神霊なるは、私欲なき時に於て然るのみ。然れど
も若し一点の私欲ありて、其秀霊なる天成之虚を填充せん
か。其霊は忽ち失ふに至らん。若し能く私欲を除却して、
其虚を存せは、其霊は神の如し、而して人為の虚も元来心
なければ依然として物を容れ、終始あることなし。故に虚
の効用の大なるを知るべし、況や太虚の用をや。彼は更に
ハ チ
一歩進めて、太虚の用を説きて曰く、仁也者即太虚之生。
ハ チ ハ チ ハ チ
義也者即太虚之成。礼也者即太虚之通。智也者即太虚之明。
ハ チ レ ナ
信也者即太虚之一。是皆太虚之徳之用也と。而して此五常
は各人の先天的に具備する所なれとも、修道に依て之を発
達するにあらざれば、昏闇なること長夜の如くにして、有
れとも猶ほ無きが如し。唯学て而して其徳に率由し、以て
之を行ふときは生ける人と云ふべきなり。中斎か万人同性
論を唱ふることは、種々の点に於て見るを得べし。而して
或は聖と為り、或は賢と為り、若くは小人と為り、若くは
愚不肖と為るは、他なし、唯私欲を去りて、太虚に帰する
の功の多少に由るのみ。
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