Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.1.13

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その22

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(8)
  第一綱領 第二 太虚の用(2)
管理人註

人と器の 差 有形物と 虚 博物学の 功

中斎更に太虚の用を説き、太虚に帰すると否やに由て、人間                     ハ シテ    ニ と器物の差を生すと云へり。其言に曰く、心帰乎太虚。然 ニ    メテ ス    レハ セ    ニ    チ      シ          ナラ 後実理始存焉。不乎太虚。則実理埋没了。与物不異と。 茲に所謂実理とは元亨利貞是なり。実理已に埋没し了れは、 人にして人にあらず、其霊何くにあらん、実に恥づべきの至                ハ チ      ナリ       ス  シテ なり。彼更に詳論して曰く、太虚即実理実気。充塞満布。而      ハ      ナラ   ニ ト     ナ リ   ノ  スル    テ 有-形之類。雖乎中。亦皆有至虚之存焉。見ヲ    ル知と。有形の類は一見充実して虚なきか如くなれども、 其実は至虚の存するありて、理気は万布せるを見るべしと云 ふ。今至虚と云ふは、物質分子間の空隙を指すなり。其質は 如何に堅実なるものも、至虚の存せさるなり。既に虚あれば、 必す理気は存せさるなし。彼既に人為的と自然的との別を云 ひ、此に又た有形的の空虚と無形的との別を言へり。然れど も彼は偶々区別を挙けて説くも、其意は唯共通の虚ありて、 理気の存するを言はんとするのみ。故に区別するに意なくし                        テ   ヲ  シ て、両者の虚を混同融通するに資するなり。彼が見草木 知。と言ふが如きは、博物学も亦斯学を捕益するを知るべし。 而して彼は唯心を知るを先とし、動植物の学を以て、労して 功なきものとせり。蓋し誤れりと云ふべし。

 


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