Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.1.11

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その20

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(6)
  第一綱領 ― 太虚説(6)
管理人註

太虚の非 空 聖人の心 量

                     ハ   リ 茲に於て彼は更に一歩を進めて曰く、春夏秋冬。自太虚 リ   テ   ス   ヲ           マ   モ 来。以終始万物。而循-環不息。毫無跡也。仁義礼智与      ニ   ナレハ フモ ヲ ト      ニ 此一般。故心虚則謂之天大言也と。此の如く太虚の 体を説き、太虚は決して空にあらさることを明にしたれば、                        ハ チ 彼は更に確実なる例を以て太虚を証して曰く、聖人即有言       ハ チ 之太虚。太虚即不言之聖人と。之れを聞くもの誰か太虚の 非空を首肯せさらん。已に聖人と太虚と同一体なるを示し                           たれば、之を孔聖と顔亜聖に就きて例解せり。曰く、顔子 〃 シ    〃 ス     ニ   モ ホ リ         ハ チ 屡空。心屡帰乎太虚。而猶有一息。聖人則徹-始徹-終     ノミ 一太虚而已矣と。私欲の念悉く掃蕩して心常に太虚を有し、 万物往来起伏の地たらしめば、則ち有言の太虚たるべし。 而して孔子は実に其人なりと雖も、顔子は未た毫髪の私欲 を存するが故に、之を太虚と云ふを得すと。説き去り説き 来りて、明白痛切、亦疑ふべきなし。聖人は即ち不言の太 虚なり、太虚は世界を容れ、世界は太虚を容る、万物此間 に千変万化して、未だ嘗て太虚を障礙する能はす。聖人の 心量、一毫の累なきや。亦是に於て見るべきなり。而して 中斎は実に此の有言の太虚たらんことを以て、畢生の志願 としたるものなり。

 
  


加藤咄堂「大塩中斎の死生観」その2 


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