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茲に於て彼は更に一歩を進めて曰く、春夏秋冬。自太虚
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来。以終始万物。而循-環不息。毫無跡也。仁義礼智与
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此一般。故心虚則謂之天非大言也と。此の如く太虚の
体を説き、太虚は決して空にあらさることを明にしたれば、
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彼は更に確実なる例を以て太虚を証して曰く、聖人即有言
ハ チ
之太虚。太虚即不言之聖人と。之れを聞くもの誰か太虚の
非空を首肯せさらん。已に聖人と太虚と同一体なるを示し
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たれば、之を孔聖と顔亜聖に就きて例解せり。曰く、顔子
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屡空。心屡帰乎太虚。而猶有一息。聖人則徹-始徹-終
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一太虚而已矣と。私欲の念悉く掃蕩して心常に太虚を有し、
万物往来起伏の地たらしめば、則ち有言の太虚たるべし。
而して孔子は実に其人なりと雖も、顔子は未た毫髪の私欲
を存するが故に、之を太虚と云ふを得すと。説き去り説き
来りて、明白痛切、亦疑ふべきなし。聖人は即ち不言の太
虚なり、太虚は世界を容れ、世界は太虚を容る、万物此間
に千変万化して、未だ嘗て太虚を障礙する能はす。聖人の
心量、一毫の累なきや。亦是に於て見るべきなり。而して
中斎は実に此の有言の太虚たらんことを以て、畢生の志願
としたるものなり。
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