Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.1.16

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その25

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(11)
  第一綱領 第四 太虚説を評す(1)
管理人註

大同小異

   第四 太虚説を評す 吾人は以上の三に於て、中斎の太虚説を略論したり。此に 於て少しく彼の太虚主義を批評するの止むを得ざるものあり。 然れども此太虚説は直に中斎哲学の神髄なれば、之を批評す るは、即ち中斎学全系統を評するに同じ。孔子嘗て春秋を作 りて曰く予を知るものは其唯春秋か、予を罪するものは其唯 春秋かと。中斎も亦知罪共に此太虚説にありと云はんか。 帰太虚の三字は、是れ実に人を殺すの寸鉄か。中斎は唯一主 義として太虚の二字を提出して、畢生の業とし、之を以て宇 宙万物を総括せんとす、彼は太虚を以て理想とすれども、消 極的にあらず、退歩的にあらず、破壊的にあらず、空々寂々 にあらず。彼は積極的なり、進取的なり、構成的なり、生々 不息を説くものなり。唯彼は虚と云ふ一金管を通して聖人の 域に到達せんとするのみ、孔子が仁を説きて、其理想とする 所の尭舜禹湯文武周公の治に達せんとしたると、毫も異なる ことなし。孟子の仁義を説き、子思子の誠を説くと同しく、 共に聖域に達するを以て目的とす。若し仏家の所謂五薀皆空 と観するが如く、五薀を破壊的に観察し去りて、我体即空な り。世界即ち空なりと云ふとは、全く相反す。又色即是空、 空即是色。或有即空、空即有。又有空は平等と説くとは、全 く相反す。中斎が虚を説くは、最も現実に、最も卑近に、最 も密接に、有言の太虚即ち聖人たらんことを言ふに外ならず。 虚を説くは空なりと観せしむるにあらず、現実に存する所の 虚に就きて、融通無礙に、天の太虚に同しきを示し、以て区々 の人欲を去り、大我を以て我となし、意必固我を除き、時中 的変易を為さんとするのみ。若し虚の字に誤られて、空々寂々 を主とするものとすれば、実に中斎の罪人なり、豈に警戒せ ざるべけんや。中斎の意を察するに世の物欲に陥溺する者を 憐みて自然の霊心に帰せんことを教ふるのみ。而して老子が 虚無を説き、仏氏が寂滅を説くと、全く相反すると謂ふは、 流行活動日用応酬を先とするに在りて存す。

 


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