Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.1.17

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その26

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(12)
  第一綱領 第四 太虚説を評す(2)
管理人註

発達  

中斎の太虚は宇宙の本体なり、而して宇宙は大なる虚なり、 我は小なる虚なり。我即宇宙、宇宙即我なり、故に太虚は我 霊心の本体なり。我と宇宙と共に虚なり。換言すれば、我と                 ハ        ノ      ハ   レ 非我と共に虚なり。陸象山が「宇宙即自家分内事。自家即是     ノ                  テ   ヲ シ  ヲ  テ   ヲ 宇宙分内事」と云ひ。陳眉公が以太虚体。以利済   ハ                              ハ チ   ニ 用斯人也天乎」と説けるもの、皆な中斎が我即非我観に同 し。然れとも彼は却て中斎の説の明切に及はさるを覚ゆ。中 斎は陽明子が太虚即良知。良知即太虚と説きしより、更に一          レ        レ チ 歩を進めて、太虚是虚。太虚是即良知、故に良知是虚と推断 せり。而して中斎が虚を説くは、一切現象に及へは、石間虚、 竹中虚、又草木中の至虚、即ち分子間の空虚なる有形的の虚 も、太虚の虚、霊心の虚なる無形的の虚も通して一の虚を以                     リ         マテ て、最終の概括とし、断案とせり。彼が「自口耳之虚五      ニ  ナ 臓方寸之虚皆是太虚之虚也」と言ふは、是れ全く客観的の空               スルハ    ニ    ニ   リ   ヲ スル 虚ならずや。而して彼が「心帰 乎太虚他、去人欲存天 ヲ チ 理乃太虚也」と云ふ如きは、主観的空虚にして空間的関係な し、唯心の欲念去り尽して、鑑空衡平静清にして、波浪なき 清水の面の如きを指すものなり。而して中斎は此二者の区別 を立つるを欲せさるのみならず、主として之を連合融通せり。 即ち方寸の虚即ち心の虚は、口耳の虚と通して一にして、口 耳の虚は亦太虚と通して一なりと。此の如くして中斎は、唯 空に就きて、其融通無礙を説き、有言の太虚なる理想に到達 せんとするのみ。有に就きて之を破壊的に空と観し、諸行無 常、諸法無我と観するとは決して同からず。此旨趣最も微妙 深遠、切に猛省を要す。

 
  


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