中斎の太虚は宇宙の本体なり、而して宇宙は大なる虚なり、
我は小なる虚なり。我即宇宙、宇宙即我なり、故に太虚は我
霊心の本体なり。我と宇宙と共に虚なり。換言すれば、我と
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非我と共に虚なり。陸象山が「宇宙即自家分内事。自家即是
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宇宙分内事」と云ひ。陳眉公が以太虚為体。以利済為
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用斯人也天乎」と説けるもの、皆な中斎が我即非我観に同
し。然れとも彼は却て中斎の説の明切に及はさるを覚ゆ。中
斎は陽明子が太虚即良知。良知即太虚と説きしより、更に一
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歩を進めて、太虚是虚。太虚是即良知、故に良知是虚と推断
せり。而して中斎が虚を説くは、一切現象に及へは、石間虚、
竹中虚、又草木中の至虚、即ち分子間の空虚なる有形的の虚
も、太虚の虚、霊心の虚なる無形的の虚も通して一の虚を以
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て、最終の概括とし、断案とせり。彼が「自口耳之虚至五
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臓方寸之虚皆是太虚之虚也」と言ふは、是れ全く客観的の空
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虚ならずや。而して彼が「心帰 乎太虚非他、去人欲存天
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理乃太虚也」と云ふ如きは、主観的空虚にして空間的関係な
し、唯心の欲念去り尽して、鑑空衡平静清にして、波浪なき
清水の面の如きを指すものなり。而して中斎は此二者の区別
を立つるを欲せさるのみならず、主として之を連合融通せり。
即ち方寸の虚即ち心の虚は、口耳の虚と通して一にして、口
耳の虚は亦太虚と通して一なりと。此の如くして中斎は、唯
空に就きて、其融通無礙を説き、有言の太虚なる理想に到達
せんとするのみ。有に就きて之を破壊的に空と観し、諸行無
常、諸法無我と観するとは決して同からず。此旨趣最も微妙
深遠、切に猛省を要す。
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