Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.2.2

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その27

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(13)
  第二綱領―致良知(1)
管理人註

理想的人 物

   第二綱領―致良知 中斎子は致良知を説くに当りて、特に根本主義たる太虚との            レハ ムニ       ノ  フル         ヲ 関係を示して曰く、「非陽明先生所訓致良知之実功チ      ル            ユ        ニ   ニ スル ヲ セント   ニ 則不於横渠先生所謂太虚之地位。故欲心帰乎太虚 ハ ク ス    ヲ 者宜良知矣」と。然れども此語は太虚と良知の関係を示 すものに過きす。其太虚と良知との体用を詳論したるは、陽                           レ ル 明子の言に若くはなし、今其一節を挙くれば、「聖人只是還 カノ       ニ   ニ   ケ    ヲ             ハ チ 他良知的本色。更不著些子意、在。良知之虚便是天之太虚。     ハ チ                                ル 良知之無便是太虚之無形。日月風雷。山川民物。凡有貌象形     リテ        ニ      シ   タ テ シ        ヲ。皆在太虚無形中発用流行。未嘗作得天的障礙。聖人   レ フ          ニ          ニ リ               ニ 只是順其良知之発用。天地万物倶在我良知的発用流行中ソ テ  ラン    エテ       ニ  ク シ ル   ヲ 何嘗又有一物超於良知之外能作得障礙」と。是れ即ち本 体と発用に付きて、太虚と良知を審明したるものなり。而し て初めに聖人を言ひ終りに又聖人を言ふ、中斎の為めに此語 を為すものゝ如し。中斎の太虚と良知を致すの二者を説く、 此語より適当なるはなからん。陽明子の意を窺ふに宇宙の本 体を以て太虚と為し、心の本体を以て良知と為す、宇宙の本 体たる太虚の発用を名けて、太虚無形中発用流行と云ひ、心 の本体たる良知の発用を名けて、良知的発用流行と曰へり。 故に之を復た本体より説けは、太虚即良知、良知即太虚にし               ノ      ハ   チ    ノ て、発用より言へば太虚無形中発用流行。即良知的発用流行。    ノ          チ レ       ノ 良知的発用流行。即是太虚無形中発用流行と云ふべし。             ハ リ ス   ヲ  ル 中斎又曰く、「吾太虚之説自良知来」と。而して中斎の 意に依れば、良知は悪人と雖も、皆之を有して損せず、之を 反求して克く之を致せば、則ち尭舜たるべしとなり。而して 所謂尭舜とは理想的円満なる大聖人を意味するなり。而して 良知を致すの法は格物に在り、格物の要は慎独克己に在り、 慎独克己以て格物すれば、則ち良知を致すべし。


   


井上哲次郎「大塩中斎」その23


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