第二綱領―致良知
中斎子は致良知を説くに当りて、特に根本主義たる太虚との
レハ ムニ ノ フル ヲ
関係を示して曰く、「非 積 陽明先生所 訓致良知之実功 。
チ ル ユ ニ ニ スル ヲ セント ニ
則不 可 至 於横渠先生所 謂太虚之地位 。故欲 心帰 乎太虚
ハ ク ス ヲ
者宜 致 良知 矣」と。然れども此語は太虚と良知の関係を示
すものに過きす。其太虚と良知との体用を詳論したるは、陽
レ ル
明子の言に若くはなし、今其一節を挙くれば、「聖人只是還
カノ ニ ニ ケ ヲ ハ チ
他良知的本色 。更不 著些子意 、在 。良知之虚便是天之太虚。
ハ チ ル
良知之無便是太虚之無形。日月風雷。山川民物。凡有 貌象形
リテ ニ シ タ テ シ ヲ
色 。皆在 太虚無形中 発用流行。未 嘗作 得天的障礙 。聖人
レ フ ニ ニ リ ニ
只是順 其良知之発用 。天地万物倶在 我良知的発用流行中 。
ソ テ ラン エテ ニ ク シ ル ヲ
何嘗又有 一物超 於良知之外 能作 得障礙 」と。是れ即ち本
体と発用に付きて、太虚と良知を審明したるものなり。而し
て初めに聖人を言ひ終りに又聖人を言ふ、中斎の為めに此語
を為すものゝ如し。中斎の太虚と良知を致すの二者を説く、
此語より適当なるはなからん。陽明子の意を窺ふに宇宙の本
体を以て太虚と為し、心の本体を以て良知と為す、宇宙の本
体たる太虚の発用を名けて、太虚無形中発用流行と云ひ、心
の本体たる良知の発用を名けて、良知的発用流行と曰へり。
故に之を復た本体より説けは、太虚即良知、良知即太虚にし
ノ ハ チ ノ
て、発用より言へば太虚無形中発用流行。即良知的発用流行。
ノ チ レ ノ
良知的発用流行。即是太虚無形中発用流行と云ふべし。
ハ リ ス ヲ ル
中斎又曰く、「吾太虚之説自 致 良知 来」と。而して中斎の
意に依れば、良知は悪人と雖も、皆之を有して損せず、之を
反求して克く之を致せば、則ち尭舜たるべしとなり。而して
所謂尭舜とは理想的円満なる大聖人を意味するなり。而して
良知を致すの法は格物に在り、格物の要は慎独克己に在り、
慎独克己以て格物すれば、則ち良知を致すべし。
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