Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.2.3

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その28

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(13)
  第二綱領―致良知(2)
管理人註

頓悟  

                       シテ  セ  中斎子は逆に太虚と良知の関係を示して曰く、「不心帰乎   ニ   シテ フ   ヲ     ナ             ノ   ニ  ノ 太虚。而謂良知者。皆情識之知。而非真良知也。真良知    ニ         ノ ミ 者非他。太虚之霊而已矣」と。此語を前きの語に代ふれば、 横渠先生所謂太虚に帰するにあらされば、陽明先生の訓ふる 所の良知を悟る能はすと云ふに等し。而して太虚と良知は其 本体より云へば、同一体のみ、故に其工夫を凝らすの順序、               スル  ニ 当に此の如く自由なるべし、帰太虚の方法も、自反慎独。 格物到知の外にあるへからず。人の情識の知、以て、良知と 誤認するは則ち良知を慢易するものなり。夫れ到良知は易き か如くにして難く、難きか如くにして易し。陽明嘗て曰く、   ケル      ニ  リ                レ   ニ    ルニ  ニ 某于良知之説百死千難中得来非是容易見-得到此。此 ト      ノ      シテ  ムヲ レバ ニ    キ ス  タ       ル ヲ 本学者究竟話頭。不已与人一口説尽。但恐学者得之容 ニ ノ   シテ       ヲ   シテ  センコトヲ ニ 易只把做一種之光景玩弄孤 負 此 知耳」と。此の如くな るが故に良知を説くもの、其機根に応して深浅の不同あるを 免れす。是故に中斎は其開導教誨の方法順序を示して曰く、   テ   ヲ  フモ  ニ タリ    シテ  ハ            シ 「以灯燭良知似矣。而灯燭有起滅。良知無起滅也。 テ   ヲ     ニ  シ       ハ             シ         ラハ日月良知近矣。而日月有晦触。良知無晦触也。然   テ  ヲ ヘン ニ  シ       レ   ハ   レ 則以何喩之。無喩者。夫良知只是太虚霊明而已矣。然而 テ   テ   ヲ  フ  ニ    シ       テ   テ   ヲ  フ ヲ    シ時以灯燭之。亦無不可。有時以日月之。亦無         テ            ニ       テ     ノ 不可。開導教誨於中人以下之方法。不可以不如此也」と。 尚ほ中斎は良知を致すの工夫は、但た人を欺かさるのみなら ず、先つ自ら欺く忽れ、自ら欺くなきの功夫は屋漏より来り、 戒慎と恐懼と、須臾も之を遺るべからずと云ひ。且つ彼は頓 悟を云ふなり。頗る禅学に類する所あり。曰く「一旦豁然。 レハ  ヲ   ニ   チ      セン天理乎心、即人欲氷釈凍解矣」と。此語は禅学に所謂直 指人心。見性成仏と云ひ。亦釈迦が菩提樹下に廊然大悟して、 等正覚を成したるが如きの感あり。然れども其の此に至るは、 自反慎独の功夫を凝らしたる後にあることは、既ら縷述せし が如し。尚ほ吾人は到良知の方法は決して、空禅にあらずし て、最も卑近に日用応酬の間にあることを明言せざるを得ず。 若し壁に面して達磨の如く、心法を練るものとせんか、是れ 陽明学の罪人なり。若し此の如きを以て致良知、帰太虚を為 さんとする者あらば、真に獅子身中の虫にして斯学をして 枯禅に陥らしむるなり、豈に注意せざるべけんや。









横渠先生
宋代の思
想家


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