Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.2.9

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その34

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(20)
           ル    ヲ
  第五綱領 去虚偽
管理人註

私欲を去 る 誠を存す

   凡そ虚偽は人欲より来る、人欲を去り、天理を存すれば、亦 虚偽あることなし。是れ太虚に帰するの消極的工夫なり。中          スルハ   ニ    ニ   リテ  ヲ   スル  ヲ  チ 斎乃ち曰く、「心帰乎太虚他、去人欲、存天理乃太 虚也」と、虚偽を去るは即ち誠を貫徹するに在り。人能く虚 偽を去り、真実無妄に達すれば、聖学の要、已に之れに尽く。         ノ ハ     ス   レ 中斎曰く、「一箇誠不害、是聖学之要也」と、子思子は 中庸を著はして、誠の一字を説く、是れ即ち虚偽と人欲を去 りて、天理を存せしめんとするなり。若し吾人一点の虚偽な きに至れば、孟子の所謂浩然の気は已に養ひ得て、決して餒 うることなし、孟子の不動心の工夫は唯去虚偽を以て第一 義とす。告子の如きは未た全く虚偽を蝉脱し得されば、客気                        を以て唯其瞬間を制するのみ。中斎又曰く、「学問道。一誠 ノ ミ 而已矣」と心に誠を存して失ふなくんば、百物の来て明鏡に 映するが如く、善悪正邪、独自ら鑑別するを得ん。然れども 是れ無心無意を云ふにあらず、是れ霊明なる活動の然らしむ                レ   ノ  スル   ヲ ハ   ニ るものなり。故に中斎曰く、「夫吾儒之存誠敬者則更無ノ          ノ   スル   ニ   ニ      チ      ナリ   レ チ 点禍福生死之念粘着於方寸。故其方寸乃与太虚一焉。是即       シテ ソ  カ バン ニ セシ シテ  ニ   ニ  ナレハ モ 々 ク 大無心也。而何無心及之如非誠敬而徒無心則雖人特枯木    ノミ              ク   ニ                    ソ 朽株焉耳。枯木朽株。亦能入水不沈。異端之不動心。大凡      テ  ノ チニ  スル  ヲ            スル ナランヤ 此類也。以之徑与誠敬之君子同視抗衡可那」と。此一 項は前きの一死生と和待つこと多し。誠の一字は東西古今 の別なく哲学に宗教に最も重しとする所なり。特に吾儒は倫 理を主脳とすれば、日用応酬の際より、生死の大事に至るま で、虚偽を去り誠を存するにあらずんば、一事として成るべ              ス ヲ きものなし。孟子は「至極成神」と云ひ。子思子は誠者物之     レハ ナラ 終始。不誠無物」と云へり。中斎は良知と虚偽の関係を論           ハ ナ レ ナフ  ヲ         ルニ ニ  スレハ  ヲ して曰く、「柔侫狡詐皆是賊良知之蠧也。加之。以学力。    ニ フノミ     ヲ       セン       ヲ 則不啻賊已之良知。亦蠧了人々之良知也」と。此の如く 論すれば、去虚偽の法は太虚の本体を人生の実行に体認現実 せしむるの消極的工夫なりと言ふを得べし。


   
  


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