Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.2.10

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その35

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(21)
  五綱領の関係
管理人註

同格若く は主伴 理論と実 行 学理の適 用

吾人は前五節に於て、中斎学の五綱領を略論したり。今其五 綱領の相互の関係を一考せさるべからす。右五綱領に就きて、 第一綱領は中斎学の眼目にして、其他の四綱領は皆な太虚に 帰するの緊要なる方法に過ぎず。故に此五綱領を同位置に駢 列するは、寧ろ其当を得さるの憾あり。第一と其他の四條は、 主伴の関係ありと見るも不可なからん。然れども又第二綱領 たる致良知は王陽明の首唱して最も重きを置きしものなり、 中斎も亦致良知は殆んと帰太虚と伯仲の間に在れば、之を第 二に置きたるものならん。然れども中斎の意を察するに、太 虚に帰するは致良知以下四綱領に依るへきことを示すものな らん。然れども一死生の如きは、難中の難たる工夫なれば、 決して軽視すへきにあらず。変化気質と、去虚偽は易きにあ らざれども、之を為すは漸進を以てすべし。且つ一般の教理 に於て、広く説く所にして王学の特有にあらず、之を要する に、第二綱領以下は、殆んと同等にして、相互補助すへきの 性質あるか如し。 且つ吾人は更に注意すべき点あり。以上に陳べし五綱領は、 理論的研究の方面なるが如くなれども、決して然らず、是れ 直に実行的方法を明示するものなり。以上の五綱領を以て完 全なる中斎学を建設すへきものにして、此外別に実行的論案 を立てす。然れども尚ほ中斎は知行合一、理気合一、天人合 一、心理不二、良心論、性情論等の理論と実行とに関係する 説あり。此中自ら理論に傾くあり、或は実行と関係すること 多きものあらんも、前の五綱領は純粋なる理論にして配当す へき実行的方面あるにあらず、若し強いて之を区別すれば、 却て知行合一を主とする陽明学の神髄に背反するに至らん。 近世西洋哲学の泰斗たるカントは、分析と綜合の両作用に長 し、巧みに分析し巧みに綜合して、或は純理批判の論を草し、 或は別に道徳論の案を立て、学理は学理、実行は実行と全然 区別し、其道徳論の如きは、彼れの他の哲学論と絶えて交渉 なきものゝ如く、全然趣を異にし。同一著者の筆墨とは思は れず。カントの統一主義に則れば其哲学の全部は、同様論法 の貫徹を見るべきに、今却て然らさるものあり。嗟是れ理論 と実行との区別を立つる所以か。既に命して学理と云はゝ、 之を任意の時処位に直接に実行すへからさるものあるは毫も 怪むに足らず、直接に施行し得されはとて、学理の価値を滅 すと云ふにあらず。然れども陽明学は元来知行合一を要旨と なす、理論と実行とを別物とするを許さず、故に中斎が主と する所は実行の方面に在ると同時に、理を明にするにあり。 一方に偏し、或は二者を別視するを許さす。若し誤て理論と 実行とを別とせんか、陽明学は遂に流れて朱子学と合するに 至らん。王陽明が簡易直截を主とするの学は。却て錯綜複雑 なる朱子学の末流と化せん、後の王陽明を論する者豈に注意 せさるべけんや。 吾人は既に中斎学の五綱領を窺ひたれば、以下に於て其他の 部分に於て中斎学を知らんと欲す。

  


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