中斎極めて冷かなる大気の聚散より推論して、死生に及び、
死生に及び、死生一貫の大観念に基き、其身を処したり。此
一項を論するに当りて、特に無限の感なくんばあらず、若し
吾人一死生の原則に大悟徹底すれば、事に臨みて綽々然とし
て余裕あるのみならず、真に豪傑中の大豪傑たるを得ん。然
れども此説はソクラチースが霊魂不滅を説きて、死の憂ふる
に足らざるを唱へしとは、相似て而も同からず、仏家に後生
を説き輪廻を説きて、現世を去るは安楽の浄土に生るゝなり
と観するとは、大に異なり。中斎の一死生説は、最も正確な
る推理法に由り、毫も熱血的鼓吹作用なきに拘らず、生気
凛々、勃如として勇往直進の気象を感ぜしむ。儒教は霊魂不
滅を説かざるにあらざれども。語りて詳かならず、惟ふに後
世を説かず輪廻を説かずして、霊魂不滅を説くものは、皆な
儒教と同じく、明確を欠くなるべし、霊魂游離を説き、不滅
を唱ふるも、其霊魂は終には如何に成り行くかを明示せず。
中斎が唱ふる一死生の原理は、霊魂不滅より来らず、帰太虚
の根本主義より来れり。即ち生は気の聚なり。散すれば元と
の太虚に帰す、彼は生死なしと云ふ側より論せすして、生滅
あれども元と一気の聚散に過きされば、悦戚をすべきなしと
云ふなり。既に生死に憂ふるに足らざることを言ひ、其の憂
ふるに足らざるの生死を免れざる人が為す事業は、万古不滅
なるものあり、故に彼は滅すべき生を棄てゝ、不滅の徳を取
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るべきを云ふ。即ち曰く、無求生以害仁、夫生有滅、仁
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太虚之徳、而万古不滅者也、舍万古不滅者而守有滅者惑
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也、故志士仁人、舍彼取此誠有理哉、非常人所知也」と。
死生を一にするの観は、決して此に止るものにあらず、一死
生に達して後に事に当るべきなり。若し事に施すにあらずん
ば、何を以てか此観を証すべき。故に彼は更に説て曰、「臨
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利害生死之境実不起趨避之心。則未至五十。乃知天命
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也。而動其心以趨避者。則雖百歳老人実夢生耳。此等命之
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知不知固無論矣。是故人不可以不早知天命也」と。知天
命とは即ち太虚に帰して生死を一にし、利害禍福の為めに動
かされず。語黙動静。行往坐臥。皆裕如たり晏如たるを云ふ、
文王の里に於ける、文天祥の土室に於ける皆な是なり。其
囹圄身を容るゝの虚は、乃ち太虚の虚にして、其宮室楼の
内に居ると異なることなし、故に狭からず、陋からず、懼れ
ず、而して能く万古不滅の仁を為すべきなり。中斎が見吉屋
五郎兵衛の倉の奥に、三旬の間、太虚の霊を懐きて、裕如晏
如たりしは、正に此一死生観を実験したるなり。
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