Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.2.8

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その33

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(19)
  第四綱領―一死生(3)
管理人註

   

中斎極めて冷かなる大気の聚散より推論して、死生に及び、 死生に及び、死生一貫の大観念に基き、其身を処したり。此 一項を論するに当りて、特に無限の感なくんばあらず、若し 吾人一死生の原則に大悟徹底すれば、事に臨みて綽々然とし て余裕あるのみならず、真に豪傑中の大豪傑たるを得ん。然 れども此説はソクラチースが霊魂不滅を説きて、死の憂ふる に足らざるを唱へしとは、相似て而も同からず、仏家に後生 を説き輪廻を説きて、現世を去るは安楽の浄土に生るゝなり と観するとは、大に異なり。中斎の一死生説は、最も正確な る推理法に由り、毫も熱血的鼓吹作用なきに拘らず、生気 凛々、勃如として勇往直進の気象を感ぜしむ。儒教は霊魂不 滅を説かざるにあらざれども。語りて詳かならず、惟ふに後 世を説かず輪廻を説かずして、霊魂不滅を説くものは、皆な 儒教と同じく、明確を欠くなるべし、霊魂游離を説き、不滅 を唱ふるも、其霊魂は終には如何に成り行くかを明示せず。 中斎が唱ふる一死生の原理は、霊魂不滅より来らず、帰太虚 の根本主義より来れり。即ち生は気の聚なり。散すれば元と の太虚に帰す、彼は生死なしと云ふ側より論せすして、生滅 あれども元と一気の聚散に過きされば、悦戚をすべきなしと 云ふなり。既に生死に憂ふるに足らざることを言ひ、其の憂 ふるに足らざるの生死を免れざる人が為す事業は、万古不滅 なるものあり、故に彼は滅すべき生を棄てゝ、不滅の徳を取               メテ ヲ     ノ    ハ      ハ るべきを云ふ。即ち曰く、無生以害仁、夫生有滅、仁               テゝ       ヲ   ハ      ヲ 太虚之徳、而万古不滅者也、舍万古不滅者而守滅者惑    ニ                  ニ                 ル 也、故志士仁人、舍彼取此誠有理哉、非常人所知也」と。 死生を一にするの観は、決して此に止るものにあらず、一死 生に達して後に事に当るべきなり。若し事に施すにあらずん ば、何を以てか此観を証すべき。故に彼は更に説て曰、「臨       ニ   ハ         ヲ   チ   ラ    ニ   チ ル   ノ 利害生死之境実不趨避之心。則未五十。乃知天命     シ   ヲ  テ   スル   チ        ト  ニ 也。而動其心以趨避者。則雖百歳老人実夢生耳。此等命之 ト   ハ ヨリ         ニ       テ     ラ   ヲ 知不知固無論矣。是故人不以不早知天命也」と。知天 命とは即ち太虚に帰して生死を一にし、利害禍福の為めに動 かされず。語黙動静。行往坐臥。皆裕如たり晏如たるを云ふ、 文王の里に於ける、文天祥の土室に於ける皆な是なり。其 囹圄身を容るゝの虚は、乃ち太虚の虚にして、其宮室楼の 内に居ると異なることなし、故に狭からず、陋からず、懼れ ず、而して能く万古不滅の仁を為すべきなり。中斎が見吉屋 五郎兵衛の倉の奥に、三旬の間、太虚の霊を懐きて、裕如晏 如たりしは、正に此一死生観を実験したるなり。


『洗心洞箚記』
 (本文)
その12









 
  


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