天人合一(唯心論)
中斎は王陽明の説を信奉するものなれば、同しく唯心論者な
り、其唯心説は諸種の点に於て発見し得へきも、特に天人合
一論の部分に於て詳密なれば此に之を言はんとす。
夫れ支那人は古代より人身の行為を律するに、天地自然の状
態を説き、諸種の現象に就きて、人身と宇宙との類似点を求
めて、人を誡むること多し。例せは易の開巻第一に天行健と
云ふより、君子以自彊不息と云ふか如く。其他孔子、子思子、
孟子等の書中に、自然の状態を見て之に則らんとして警むる
の語極めて多し。特に漢の代に至ては、陰陽五行説の流行よ
り、彼此配当して、仁義礼智を以て四時に配当し、或は四方
に配当する説出てたり。菫仲舒の春秋繁露の如きは其尤なる
ものなり。此一点に於ては支那古今を通して、相一致するが
如し、是れ蓋し支那大陸の地勢、之をして然らむるもの多き
に居らんか。然れとも斯る類似を取ることは、西洋にも多く
見る所、社会学者コントの如きは社会の組織と、人身の組織
とを比較して説を立つ。其他日常の行為を律するにも、自然
の現象を以てすること決して少からす。
支那には今猶ほ、人君の行為及ひ、政治の良否は直に天地に
関係し、天変地異嘉端吉兆は、皆其結果なりとす。古に在て
も、彼の湯王か雨を祈るに、其身を責め、或は丙吉が牛喘を
聞く政治を慎みたるが如き、或は日蝕に当りて、斎戒沐浴し
て罪を謝するが如きは、天人感通の信仰より来れるものなり。
然れとも中斎は単に比較類似に止らす、精密に天人合一、天
即人、人即天を唱ふ。固より其間多少の差違なきにはあらず、
即ち彼は迷信を以て基礎と為すもの多く、此は確実なる推理
より建設す。而して正しく唯心論者の名を値するは彼にあら
すして唯此にあり中斎は明白に天人一体を説き。天は大なる
人なり人は小なる天なりと云ふ。
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