Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.2.11

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その36

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(22)
  天人合一(唯心論)(1)
管理人註

自然に則 る 速想

  天人合一(唯心論) 中斎は王陽明の説を信奉するものなれば、同しく唯心論者な り、其唯心説は諸種の点に於て発見し得へきも、特に天人合 一論の部分に於て詳密なれば此に之を言はんとす。 夫れ支那人は古代より人身の行為を律するに、天地自然の状 態を説き、諸種の現象に就きて、人身と宇宙との類似点を求 めて、人を誡むること多し。例せは易の開巻第一に天行健と 云ふより、君子以自彊不息と云ふか如く。其他孔子、子思子、 孟子等の書中に、自然の状態を見て之に則らんとして警むる の語極めて多し。特に漢の代に至ては、陰陽五行説の流行よ り、彼此配当して、仁義礼智を以て四時に配当し、或は四方 に配当する説出てたり。菫仲舒の春秋繁露の如きは其尤なる ものなり。此一点に於ては支那古今を通して、相一致するが 如し、是れ蓋し支那大陸の地勢、之をして然らむるもの多き に居らんか。然れとも斯る類似を取ることは、西洋にも多く 見る所、社会学者コントの如きは社会の組織と、人身の組織 とを比較して説を立つ。其他日常の行為を律するにも、自然 の現象を以てすること決して少からす。 支那には今猶ほ、人君の行為及ひ、政治の良否は直に天地に 関係し、天変地異嘉端吉兆は、皆其結果なりとす。古に在て も、彼の湯王か雨を祈るに、其身を責め、或は丙吉が牛喘を 聞く政治を慎みたるが如き、或は日蝕に当りて、斎戒沐浴し て罪を謝するが如きは、天人感通の信仰より来れるものなり。 然れとも中斎は単に比較類似に止らす、精密に天人合一、天 即人、人即天を唱ふ。固より其間多少の差違なきにはあらず、 即ち彼は迷信を以て基礎と為すもの多く、此は確実なる推理 より建設す。而して正しく唯心論者の名を値するは彼にあら すして唯此にあり中斎は明白に天人一体を説き。天は大なる 人なり人は小なる天なりと云ふ。

丙吉
前漢魯国
の宰相。














「大塩中斎」目次/その35/その37

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ