Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.2.12

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その37

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(23)
  天人合一(唯心論)(2)
管理人註

倫理を主 眼となす 純乎たる 主観的

中斎の哲学を熟考するに、或は太虚を説き、或は天人合一を 説き、或は致良知を説くも、其主要とする所は、一の倫理学 に在り。其説或は純正哲学に入るものあるも、其の主意は彼 にあらすして此に在り、彼は宇宙の大を説くも、倫理の為め なり、一身の小を説くも亦修身の為なり、千言万語、横説堅 説すと雖も、倫理の範囲外に出つるを願はす、彼は唯心の理 を主とし、方今所謂博物科学の如きは、之を修むるに意なき のみならず、却て之を以て無益の業なりとせり。専心一意人 間に関する事を主唱して、其他を顧みず、唯人間の研究に熱 中せしのみ。即ち彼は東洋学者従来の風習を踏襲したり、偶々 剏始特見あるも、倫理の範囲を離れす、唯其基礎建設の順序 として得たるのみ。 世の学者は儒学を目して倫理学とし、或は政治学とし、或は 社会学に摂せんとす、各説其理由なきにあらず。然れども治 国平天下の本は、修身斉家にありとの説なれば、倫理を種と することは言を待たす。今中斎の学も亦然り、而して倫理学 中に於ても、主として個人的倫理に偏して、社会的道徳に論 及せず、内省的方法を主とす。是れ中斎は心法を鍛錬するを 主とし、唯心論を以て、学説の基礎とすればなり。陽明子は 儒学に於ける唯心論者の首領と仰かるゝなれば、中斎は之を 奉して唯心説を采れり、故に社会は即ち吾が心中の物として、 専ら心法を練るへきことを主張せり。

   


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