中斎の哲学を熟考するに、或は太虚を説き、或は天人合一を
説き、或は致良知を説くも、其主要とする所は、一の倫理学
に在り。其説或は純正哲学に入るものあるも、其の主意は彼
にあらすして此に在り、彼は宇宙の大を説くも、倫理の為め
なり、一身の小を説くも亦修身の為なり、千言万語、横説堅
説すと雖も、倫理の範囲外に出つるを願はす、彼は唯心の理
を主とし、方今所謂博物科学の如きは、之を修むるに意なき
のみならず、却て之を以て無益の業なりとせり。専心一意人
間に関する事を主唱して、其他を顧みず、唯人間の研究に熱
中せしのみ。即ち彼は東洋学者従来の風習を踏襲したり、偶々
剏始特見あるも、倫理の範囲を離れす、唯其基礎建設の順序
として得たるのみ。
世の学者は儒学を目して倫理学とし、或は政治学とし、或は
社会学に摂せんとす、各説其理由なきにあらず。然れども治
国平天下の本は、修身斉家にありとの説なれば、倫理を種と
することは言を待たす。今中斎の学も亦然り、而して倫理学
中に於ても、主として個人的倫理に偏して、社会的道徳に論
及せず、内省的方法を主とす。是れ中斎は心法を鍛錬するを
主とし、唯心論を以て、学説の基礎とすればなり。陽明子は
儒学に於ける唯心論者の首領と仰かるゝなれば、中斎は之を
奉して唯心説を采れり、故に社会は即ち吾が心中の物として、
専ら心法を練るへきことを主張せり。
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