東洋には古来唯心説あり、仏家の唯心説は更に言ふを要せす、
彼は「万法唯一心、心外無別法」と絶叫し、孟子の如きも
ル ニ
「万物皆備 於我 矣」と論せり。陽明子に至りては最も明白
なり。中斎は天と人と皆な悉く心内より発出し、外より誘ふ
て後に出つるにあらずと言へり。是れ天人合一を唱へて、其
天人両つながら心上より起ると云ふ所以なり、即ち其言に曰
ハ ヒ ニ ツ ヲ ハ リ ス
く、「邵子曰く。天向 一中 。分 造化 。人従 心上 。起 経
ヲ ハ ハ ズ ニシテ ヲ ニ ルニ ナル
綸 。一即心也。心即一也。非 外 春夏秋冬 別有 所 謂造化者
ズ ニシテ ヲ ニ ルニ ナル テ ニ レハ ヲ
也非 外 仁義礼智 。更有 所 謂経綸者 也。由 是観 之。則天
ス ニ
与 人皆自 内発-出焉。而非 自 外襲収来而後出者 也。学者於
ニ
是当 知 天人合一之道 矣、」と。唯心論者たること知るべし、
加之中斎は太虚主義を根底とし、我心は虚空なり、心外も亦
虚空なり、而して内外の両虚空は、直接に連絡し、隔絶する
ことなく、我が方寸の虚は之を拡充すれば、無限大の太虚を
葆容すべきなり、天地万物即ち吾心中の物なりと云へり。乃
リ ルマテ ニ ナ レ
ち曰く、自 口耳之虚 。至 五臓方寸之虚 。皆是太虚の虚也。
ハ ク マル ニ チ レ トスル
而太虚之霊尽萃 乎五臓方寸之虚 便是仁義礼智之所 家焉也。
トスル チ ノ スル テ ニ
其所 家焉仁義礼智、即太虚所 循環 之春夏秋冬也焉耳由 是
レバ ヲ ニシテ ニ ク
観 之。則仁義礼智与 春夏秋冬 異形而同。故昔人曰、人者
ノ ル ハ ヲカ ンヤ
天也、天者人也。夫子所 謂天何言哉。四時行焉。百物生焉。
ヲカ ンヤ レモ フヲ ノ フ ヲ チ フハ ハ
天何 言哉。是将 天言 人徳 也。然則曰 天者人也。人者天
ナラ
也 。不 亦理 乎」と。口耳の虚空と、五臓方寸の虚空とを以
て、直に太虚の虚となす。而して心臓の方寸は仁義礼智の出
づる所なりと云ふ。仁義礼智は即ち春夏秋冬と同一なれば、
心臓の方寸の虚は即ち大天地と一般なり、小天地と大天地を
以て、唯心を証するものなり。文中に聖賢の語を引きて自家
を証すと雖も、是れ所 謂断章取義にして、原語の意義と基
礎を異にするものなしとせず、或は之を採用する固より妨な
しと雖も、後人の之を聞くもの常見を以て之を解すれば、牽
強附会の感を生ぜん、須らく常に中斎学の根本主義を記憶す
べきなり。
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