Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.2.15

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その40

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(26)
  良心論(1)
管理人註

東西洋の 長所 孟子の良 心観 其根源 心の三作 用

   良心論 夫れ東洋学者は、一般に心の精錬作用に長じ、西洋学者は一般 に経験に重きを置き、分拆作用に長ずるが如し。東西各長短あ りて、西洋の長所は新智識を得るに便なるも、精神作用を綜合 精錬するに便ならず。東洋の長所は正に之に反す。而して特に 陽明学、即ち心学は純乎たる主観的なれば専ら心の精錬作用を 主として、外界の智識を得るに務めず、否な、却て方今所謂科 学的研究の如きは、無益徒労となす、是れ其根本説として、心 の理を知れば万有の理は之に葆含すとすればなり。蓋し斯学の 弊も亦此に在るが如し。若し心法に加ふるに、実験的新智識を 以てせば、其利幾何ぞや、今の学者豈に注意せざるべけんや。 今吾人は中斎の良心説を窮ふに際して、少しく東西哲学者の良 心説を瞥見せんとす。蓋し中斎の良心説は陽明子より来り、陽 明子も亦其先駆を有すればなり、是故に東洋に於ける良心説を 概論するの要あり。 吾人は東洋的学者の良心説を窺はんが為めには、先づ孟子の良 心説を摘録せんとす、惟ふに良心説は必ず孟子を以て嚆矢とせ ん、今孟子の意を要するに、「良心は仁義の心にして、人間各 自固有するものなり、而して道徳に関する万般の行為を支配し 善悪正邪を判断する力を具ふ、其性は本来至善なれども教養の 如何に由て、其力は増減強弱を見る。而して其減弱の極度に達 すれば、所謂禽獣を去ること遠からざるに至り、其増強の極度 に達すれば所謂大聖人と成り、最も円満にして其行為に毫も欠 くる所なし。而して人類が万物に霊たる所以は、独り人類のみ が此仁義の心を有して、他動物は之を有せざるに由る」と云ふ にあらん。 孟子が良心を以て仁義の心なりと云ふは、孟子が人生観の立脚 地たる、所謂四端中の惻隠心、羞恥心の作用上より命じたる名 なり。孟子の意を約すれば、良心は性善に基きたる心の作用な りと云ふにあらん。孟子は未だ智若くは情若くは意等の一辺に 偏せざりしも、未だ粗笨の失を免れず。 以上の良心説より推演するに、良心は道徳的行為に関係する人 間の心の作用を指すものにして或時は智力が主動となりて、情 意は従動となりて之を助け、或瞬間には感情が主動者となりて 其他の作用は之を補佐することあり。或瞬間には意志が其主部 を演ずることありて、必ず一と定まりたることなし。故に吾人 の行為の道徳に関する心理的三作用を総称して名けたるものな り。而して心の三作用は唯其顕著なる点に就きて、分ちたるも のにて元来独立せる三個の別物あるにあらず、此の如くなれば 心の活動する時は一作用が主となるときも、他は全く働かさる にあらず、直接若くは間接に補佐するものなり。

    


「大塩中斎」目次/その39/その41

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ