Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.2.16

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その41

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(27)
  良心論(2)
管理人註

良心即良 知

惟ふに良心は善悪正邪を判断する点より見れば、智力にして、 善を為し悪を為すの結果として快楽苦痛を感ずる点より見れば、 感情なり善を為さんと欲し悪を避けんと欲する点より見れば、 意志なり。道徳上吾人が一行状を完成するにも、智情意の三作 用は決して欠くべからざるなり、尚ほ約言すれば、良心とは即 ち智情意の道徳に関する作用を指すなり。 中斎の良心説は、孟子より来れるものなれども、語りて精から                   ニ ク  ハ フ   ヲ     ノ ず。今其語を挙ぐれば、「陽明先生語録曰。或問異端。先生          キ モノ レヲ フ   ト        ナル   レヲ フ 曰。与愚夫愚婦同的。是請同徳。与愚夫愚婦異的。是謂               ハ ゾヤ  レ キテ 異端」。所謂与愚夫愚婦同的何。是就其夜気。愛親敬兄。         ニ フ        ハ チ          善知悪之良心言也。其良心即与赤子一般。赤子之心。 チ             ハ ニ   スルヲ     キハ ノ セラレ       ニ 乃聖人之心也。聖人特拡充焉耳。若夫囿於気習物欲。而 ル  ハ   スルコトノ レ チ        ル      ニ     ルニ ハ拡充者。是乃愚夫愚婦之所以終乎愚夫婦也。然良心 テノ      ナ ルヲ ニ ケバ      ヲ   チ    トス レヲ  ケバ      ヲ チ愚夫婦皆有故聴伯夷之俄。則心皆是之。聴盗跖之侈々ニ ク トス レヲ ニ    ハ     レ ノ     ノミ        ハ        ニ 口 尽非之。故同的者。只是此良心而已矣。良心者良知也。故 ニシテ ヲ  ヘバ チ  ナリ       タ ルモ  シモ ヘ  ノ ヲ良知学則異端矣。聖人復起不必 易斯言矣、」と、「又曰    ハ   バ ル ラ    ノミ 夫良知不学不慮之良心耳」と。良知を良心と同じものとなす が如し。且つ古来孟子の良知良能の章を解して、達道は良心の 外に在らざることを示すと言ひしもの多し。故に良心を以て仁 義の心とするは、仁義を主張する孟子の意にして、到良知を唱 ふる中斎は良心は即ち良知なりと云ふ。同体異名なるか、此語 に依て考ふれば、専ら普遍的なることを示して、良心即良知な ることを言ひ、良知は離るべからざることを教ふるが如し、良 知の知は情識の知にあらず、良心の心は仁義の心にして常の心 にあらず、故に良知を致すは即ち良心を涵養するの意なり。大 学の語に依れば明徳を明かにするの謂なり。若し良心即良知と すれば、陽明子と共に中斎は良知を説れり。然れども良知は即 ち不学不慮の良心のみと云ふときは、少しく前義と不同なり、 中斎子一書中、此の如く差あり、然れども恐くは良心即良知の 意を取らん。

    
  


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