Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.2.19

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その44

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(30)
  性善悪論(3)
管理人註

性有三品

           リ        ヒ ヲ ル ハ   セ       ヲ 左の言に徴するに、「自性善上道来者不高下精粗。         ナリ  リ    ノ  シ  ヲ ル ハ     セ      ヲ 尭舜孔孟之血脈也。自情欲上悪来者。不小大深浅。           ニ   シテ  ヲ     ニ   シ   ヲ   テ ヒ 桀紂操之苗裔也。外粧点仁義。而衷包蔵功利。以道ヲ  テ   スル  ニ ハ           トモ ト カラ ケテ フ以従事世務者便是覇者之奴隷也。億兆雖勝 算。 人品要不乎此三等」と云へり。此節の如きは甚た論理に 合せさる論たるを免れず、或は血脈也と云ひ、或は苗裔也と 云ふ、固より比喩的用語に過きざれども、一に尭舜等の至善を 表すへき人物を挙げ、二に大悪の標品として桀紂を挙げ、三に 前二者の中間に位する覇者の奴隷を挙げて三品となす、韓退之 の性有三品説と一致する所多し。且つや尭舜は性善上より善を 為し来りて、情善より善を為し来るを言はす。又桀紂の徒は情 欲上より悪を為し来ることを言ひて、性悪より情悪を恣にする を説かす。悪人は性善か性悪か、将た善人は情欲なきか、此間 甚た不明なり。中斎は情は全く悪なるが如く説けり、其言に曰         ハ レハ レヲ ニ  チ      ナリ  モ レハ ヲ  ニ   チ ル く、荀子性悪之説当之于情則不易之論。而当之于性。則不   セ     レ シ      タ テ   ヲ   カモ ル     ヲ 也。此無他。他只看陰陽。而未太極故也」、と。 若し此説に依れば、完全なる仁政或は小にして慈善事業を為す には、情なくして為し得へしとするか、蓋し誤れり。而して此 誤たるや、情欲の弊害を恐るゝの余り、遂に仏家の情欲断滅の 説に陥れるより起れり、豈に聖人も情なからんや、情必すしも 悪しきにあらす、善悪の事業は、共に情的作用の助を借らざる                         チ ヘバ  ニ へからす。孟子の如きは則ち然らず、「孟子曰く。乃従其情 チ シ テ ス ヲ     チ          ノ スガ  ヲ       ニ 則可以為善矣。乃所謂善也」と、「若夫為不善才之罪 也」と。孟子の性善説も難点なしとせざれども、性善説は徹頭 徹尾性善情善才善と云ひ、少しも弛挫する所なし、是亦た既に 足れり。是れ孟子の孟子たる所以なり。 吾人は既に前数節に於て中斎の学説を略論せり。猶ほ数款を重 ねて其欠を補はんとす。

    
  


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