リ ヒ ヲ ル ハ セ ヲ
左の言に徴するに、「自 性善上 行 道来者不 論 高下精粗 。
ナリ リ ノ シ ヲ ル ハ セ ヲ
尭舜孔孟之血脈也。自 情欲上 為 悪来者。不 論 小大深浅 。
ニ シテ ヲ ニ シ ヲ テ ヒ
桀紂 操之苗裔也。外粧 点仁義 。而衷包 蔵功利 。以道 問
ヲ テ スル ニ ハ トモ ト カラ ケテ フ
学 以従 事世務 者便是覇者之奴隷也。億兆雖 不 可 勝 算 。
人品要不 出 乎此三等 」と云へり。此節の如きは甚た論理に
合せさる論たるを免れず、或は血脈也と云ひ、或は苗裔也と
云ふ、固より比喩的用語に過きざれども、一に尭舜等の至善を
表すへき人物を挙げ、二に大悪の標品として桀紂を挙げ、三に
前二者の中間に位する覇者の奴隷を挙げて三品となす、韓退之
の性有三品説と一致する所多し。且つや尭舜は性善上より善を
為し来りて、情善より善を為し来るを言はす。又桀紂の徒は情
欲上より悪を為し来ることを言ひて、性悪より情悪を恣にする
を説かす。悪人は性善か性悪か、将た善人は情欲なきか、此間
甚た不明なり。中斎は情は全く悪なるが如く説けり、其言に曰
ハ レハ レヲ ニ チ ナリ モ レハ ヲ ニ チ ル
く、荀子性悪之説当 之于情 則不易之論。而当 之于性 。則不
セ レ シ タ テ ヲ カモ ル ヲ
合 也。此無 他。他只看 陰陽 。而未 見 太極 故也」、と。
若し此説に依れば、完全なる仁政或は小にして慈善事業を為す
には、情なくして為し得へしとするか、蓋し誤れり。而して此
誤たるや、情欲の弊害を恐るゝの余り、遂に仏家の情欲断滅の
説に陥れるより起れり、豈に聖人も情なからんや、情必すしも
悪しきにあらす、善悪の事業は、共に情的作用の助を借らざる
チ ヘバ ニ
へからす。孟子の如きは則ち然らず、「孟子曰く。乃従 其情
チ シ テ ス ヲ チ ノ スガ ヲ ニ
則可 以為 善矣。乃所 謂善也」と、「若 夫為 不善 非 才之罪
也」と。孟子の性善説も難点なしとせざれども、性善説は徹頭
徹尾性善情善才善と云ひ、少しも弛挫する所なし、是亦た既に
足れり。是れ孟子の孟子たる所以なり。
吾人は既に前数節に於て中斎の学説を略論せり。猶ほ数款を重
ねて其欠を補はんとす。
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