Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.3.23

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その50

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 教育法(1)
  洗心洞学名学則
管理人註

    

  教育法 中斎の教育の主義は文武を兼ね、学問事業並進せしむるにあり。 是れ即ち知行合一の主義より来れり、学理は学理、実行は実行と 画然区別するが如きは斯学の最も取らざる所。本体即ち工夫、工 夫即ち本体、体用一源、明明徳は親民と相離るべからず。理論家 たると同時に実行家たり、哲理と事業とを合一並進せしむるは王 学の大本領なり。前段に学説工夫を分説したるは暫らく便宜に従 ふのみ。中斎は此の如き主義、学説、識見とを懐抱すれば、其及 門の弟子を薫陶するの方法は、直に推測するを得ん。吾人は唯其 大要を示すのみ。      洗心洞学名学則  弟子余に問て曰く、先生の学之を陽明学と謂ふか曰く否、之を  程朱学と謂ふか、曰く否、然らば別ち先生の適従する所は果し  て何学なりや。曰く我学は只々仁を求むるにあるのみ。故に学  に名無し、強いて之を名けば孔孟学と曰はん。曰く其説如何、  曰く我学、大学中庸論語を治む、是れ孔子の書なり。孟子を治  む、是れ便ち孟子の書なり。而して六経皆亦孔子刪定の書なり、  故に強いて之を名げば孔孟学と曰はん。嗚呼孔孟の学は一の仁  に在り、而して仁は則ち遽かに手を下し難し、故に或は其訓詁  註疏を読みて其影響を求め、或は其居敬窮理の工夫に因て以て  其精微を探り、其薀底を窺ひ、或は良知を致し以て其簡易の要  を握る。而して畢竟各皆な孔孟の学に帰するのみ。孔子孝経を  以て曾子に授けて之を至徳要道と云ひ孟子も亦尭舜之道は孝悌  のみと云ふ。是を以て之を考ふれば則ち四書六経の説く所多端  なりと雖、仁の功用遠大なりと雖、其徳の至、其道の要、只々  孝に在るのみ。故に我学は孝の一字を以て四書六経の義理を貫  く、力固より及ばず、識固より足らず、然れども諸れを心に求  めて真に心中の理を窮めば、将に死を以て斯文に従事せんとす、

石崎東国
『大塩平八郎伝』
その48
















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