教育法
中斎の教育の主義は文武を兼ね、学問事業並進せしむるにあり。
是れ即ち知行合一の主義より来れり、学理は学理、実行は実行と
画然区別するが如きは斯学の最も取らざる所。本体即ち工夫、工
夫即ち本体、体用一源、明明徳は親民と相離るべからず。理論家
たると同時に実行家たり、哲理と事業とを合一並進せしむるは王
学の大本領なり。前段に学説工夫を分説したるは暫らく便宜に従
ふのみ。中斎は此の如き主義、学説、識見とを懐抱すれば、其及
門の弟子を薫陶するの方法は、直に推測するを得ん。吾人は唯其
大要を示すのみ。
洗心洞学名学則
弟子余に問て曰く、先生の学之を陽明学と謂ふか曰く否、之を
程朱学と謂ふか、曰く否、然らば別ち先生の適従する所は果し
て何学なりや。曰く我学は只々仁を求むるにあるのみ。故に学
に名無し、強いて之を名けば孔孟学と曰はん。曰く其説如何、
曰く我学、大学中庸論語を治む、是れ孔子の書なり。孟子を治
む、是れ便ち孟子の書なり。而して六経皆亦孔子刪定の書なり、
故に強いて之を名げば孔孟学と曰はん。嗚呼孔孟の学は一の仁
に在り、而して仁は則ち遽かに手を下し難し、故に或は其訓詁
註疏を読みて其影響を求め、或は其居敬窮理の工夫に因て以て
其精微を探り、其薀底を窺ひ、或は良知を致し以て其簡易の要
を握る。而して畢竟各皆な孔孟の学に帰するのみ。孔子孝経を
以て曾子に授けて之を至徳要道と云ひ孟子も亦尭舜之道は孝悌
のみと云ふ。是を以て之を考ふれば則ち四書六経の説く所多端
なりと雖、仁の功用遠大なりと雖、其徳の至、其道の要、只々
孝に在るのみ。故に我学は孝の一字を以て四書六経の義理を貫
く、力固より及ばず、識固より足らず、然れども諸れを心に求
めて真に心中の理を窮めば、将に死を以て斯文に従事せんとす、
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