Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.3.27

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その54

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 献身的事業(3)管理人註

    

思ふに此一篇や実に中斎が満腔熱血の迸る所、字々赤誠を溢らし、 句々烈霜を挟む、憐愍の情、淋漓紙上に満り、慷慨の気躍々人を 襲ふ、後人が中斎を欽慕して奮起するもの、此献身的事業に由ら ずんばあらず。フランクリンが米国独立の檄文も、精神と気象に 於ては、毫も之の右に出づること能はず、読者豈に軽々看過すべ けんや。 十九日、砲声一発、以て事を始む、時に東風暴烈、火焔天を覆ふ、 直ちに鴻池、三井、山城屋諸豪家を火す。既にして幕兵来り防ぐ 者多く、衆寡敵せず、軍気漸く沮喪しき、中斎遂に事の成すべか らざるを見て各自去就を決せしめ、自から格之助と共に見吉屋五 郎兵衛の宅に隠る。霹靂一声、雷霆既に収まり、猛獅一吼、踪跡 既に失へり、二百年来昌平の夢一時に破れて四海騒然たり、探求 太だ急にして一片の人相書は諸方に飛ばされたり。                   大塩平八郎  一 年齢四十五六歳  一 顔細長く色白き方  一 眉毛細く薄き方  一 眼細くツリ候方       サカイキ  一 額開き月代青き方 一 耳鼻常体  一 丈常体中肉    一 言舌爽かにして尖とき方    其節の着用、鍬形甲着用、黒き陣羽織、其余着用不分、 翌月事遂に覚はれ、吏卒来り捕ふ、父子乃ち火を放て之を禦ぎ以 て自刃しき。時に天保八丁酉三月二十六日なり。

大塩人相書
(古文書)










自刃は、
三月二十日

中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その4
  
 


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