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彼れ中斎嘗て曰く、「喜怒哀楽任 情起滅。則亡 徳喪 身之基也。
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故君子慎 独。帰 乎太虚 惟是之務。是以当 喜怒哀楽之境 。尤忍
ス セ キ レノ ハ チ ス レニ シク シム
而不 軽起 焉。如 吾 者則反 之 宜 慎也」と、彼自身も短気にし
て動もすれば亡徳喪身の基を為さんことを憂へたるが如し。果然
彼の肝癪玉は「救民、天誅」の一声と共に破裂したり。然れども
其時中斎門下の一俊髦、宇都木矩之丞の厳正剛直なる、直に師の
前に進み「我師今度の御挙動は、平生の御沈着にも似もやらで、
甚だ以て暴虎馮河の御軽挙、大義は拙者が弁ずるまでもなし、確
かに今度は反逆の形迹とこそは見受けらる、拙者は永く我師の恩
に浴すれど、聖賢の道に違ひたる今度の一件、御賛成は拙者致し
兼ねて候、よく\/御熟慮ありて然るべふ存ずる」と諫めたり。
彼は遂に短気の為めに喪身の弊に陥りたりとの謗を免かれざるは、
豈に千秋の遺憾ならずや。吾人は如何に彼の根本主義を知り、彼
の信念の厚きを称し、如何に公平に彼の挙動を考ふるも、彼は尚
ほ一層着実にして、遠謀深略に出でたるべきを望まざるを得ず。
然れとも中斎の峻厳峭抜なる性質が能く簡易直截なる陽明学を発
揮して、更に簡易直截なる太虚主義を創唱し、単刀直入、亭々
当々、直上直下、太虚を以て天人を貫通し、宇宙を網羅したるは、
我哲学史上の一大偉観と謂つべし。而して彼の哲学は其性質の如
く孤峻なり、其弁証法は彼の如く精鋭なり、其推理力は彼の如く
果敏なり、其思索力は彼の如く直截なり、其特色の顕著なる既に
此の如きものあり。
陽明学者として中斎を以て、我邦前後の学者に比するに、徳行に
於て藤樹に及ばず、為政家としては固より蕃山に企及すべきにあ
らず。然れども執斎に至りては、如何なる点に於て優劣を見るべ
きか。彼は大辟の人と為りたれば、徳望甚だ揚らず、今に至て世
人尚ほ中斎の真価を知る者少し。然れども太虚主義を以て、哲学
を建設して、孔孟の教に契合し、王学を中興したるの技倆は、我
邦に於て大哲学者の名を博すへきものあり。之を汎く我邦古今に
徴するに、中斎に比して優るもの果して幾人かある、中斎不運に
して風雲に際会するを得ず、始終逆境に立ちしを以て、名声赫々
たるものなしと雖、我国哲学史上の位置は、蓋し第二流に下らざ
るへし。
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