Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.4.27

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その58

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 評 論(4)管理人註

軽挙 日本哲学 史上一大 偉観 哲学史上 の位置

               テ  ニ  スレバ チ ホシ ヲ フ ヲ 彼れ中斎嘗て曰く、「喜怒哀楽任情起滅。則亡徳喪身之基也。 ニ   ハ シム ヲ  スル    ヲ   レ ヲ ム  レヲ テ テ      ニ   モ ンテ 故君子慎独。帰乎太虚惟是之務。是以当喜怒哀楽之境。尤忍   ス    セ     キ レノ ハ チ ス レニ シク シム 而不軽起焉。如吾 者則反之 宜慎也」と、彼自身も短気にし て動もすれば亡徳喪身の基を為さんことを憂へたるが如し。果然 彼の肝癪玉は「救民、天誅」の一声と共に破裂したり。然れども 其時中斎門下の一俊髦、宇都木矩之丞の厳正剛直なる、直に師の 前に進み「我師今度の御挙動は、平生の御沈着にも似もやらで、 甚だ以て暴虎馮河の御軽挙、大義は拙者が弁ずるまでもなし、確 かに今度は反逆の形迹とこそは見受けらる、拙者は永く我師の恩 に浴すれど、聖賢の道に違ひたる今度の一件、御賛成は拙者致し 兼ねて候、よく\/御熟慮ありて然るべふ存ずる」と諫めたり。 彼は遂に短気の為めに喪身の弊に陥りたりとの謗を免かれざるは、 豈に千秋の遺憾ならずや。吾人は如何に彼の根本主義を知り、彼 の信念の厚きを称し、如何に公平に彼の挙動を考ふるも、彼は尚 ほ一層着実にして、遠謀深略に出でたるべきを望まざるを得ず。 然れとも中斎の峻厳峭抜なる性質が能く簡易直截なる陽明学を発 揮して、更に簡易直截なる太虚主義を創唱し、単刀直入、亭々 当々、直上直下、太虚を以て天人を貫通し、宇宙を網羅したるは、 我哲学史上の一大偉観と謂つべし。而して彼の哲学は其性質の如 く孤峻なり、其弁証法は彼の如く精鋭なり、其推理力は彼の如く 果敏なり、其思索力は彼の如く直截なり、其特色の顕著なる既に 此の如きものあり。 陽明学者として中斎を以て、我邦前後の学者に比するに、徳行に 於て藤樹に及ばず、為政家としては固より蕃山に企及すべきにあ らず。然れども執斎に至りては、如何なる点に於て優劣を見るべ きか。彼は大辟の人と為りたれば、徳望甚だ揚らず、今に至て世 人尚ほ中斎の真価を知る者少し。然れども太虚主義を以て、哲学 を建設して、孔孟の教に契合し、王学を中興したるの技倆は、我 邦に於て大哲学者の名を博すへきものあり。之を汎く我邦古今に 徴するに、中斎に比して優るもの果して幾人かある、中斎不運に して風雲に際会するを得ず、始終逆境に立ちしを以て、名声赫々 たるものなしと雖、我国哲学史上の位置は、蓋し第二流に下らざ るへし。












井上哲次郎
「宇津木静区
  
 


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