然れども中斎は太虚主義を唱ふるに傾きたれば、一般哲学の要素
とする空間の思想は周密なれども、其他の一要素たる時間の観念
は殆んど全く之を忘失したるが如し。之を西洋哲学者の緻密なる
思想に対比すれば、遥かに及ばざる点あるが如きも、当時我学界
哲学的考察、未だ全く萌芽を発せざる時に方りて、嶄然として一
種の機軸を出しゝは、最も多とするに足る。吾人は、復た徐ろに
想起す、王陽明子が朱子学全盛の時に際して、廓然大悟せる自説
を唱道したるが如く、我国に在りて朱子学盛運の秋に崛起し、幕
府の奨励に背反し、堂々自説を主張して一歩を譲らざりしは恰も
東西符を合するが如しと、中斎子を読むもの、誰か其精神の勇猛
に感して、勃然奮起せざらん。
中斎は能く太虚説を唱へ、天人合一の大観念を懐きしも、性急に
して発怒し易く、夫の王陽明の寛洪大量洒々落々たるに似ず、屡
世人をして其過激を議せしめたるが如し。特に矢部駿河は中斎を
評して、「平八郎は肝癪の甚しき者に候」と云へり、然れども聡
明果毅にして、謹厳自ら持するの風あり、其志の高尚にして々
鑽仰、直ちに聖賢に伍せんとし、威武権貴の為めに屈せす、富貴
利禄の為めに動かず、正々堂々、俯仰天地に愧ぢざるの行為は、
最も称すべきものあり、自家の所信を貫徹して、身命を顧みず、
蒼生を塗炭に救はんとして、遂に自ら黒焼となりて死せしは彼の
希臘の聖人ソクラチースが道の為めに毒を仰きしと全く其旨趣を
同くす。特に我邦に在りて陽明子を信奉したる三大家の後に出で、
優に其学脈を紹ぎしのみならず、更に一歩を進めて、剏姑特見の
あるあり、知行合一の主義を唱へて、知行合一を証せしは、在天
の王陽明に対して優ることあるも劣ることなし。或は曰く此点に
於ては王陽明を抜くこと更に一等なることを見ると。盖し過当の
言ならざるべし。
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