Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.4.26

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その57

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 評 論(3)管理人註

空間時間 陽明学の 本領

然れども中斎は太虚主義を唱ふるに傾きたれば、一般哲学の要素 とする空間の思想は周密なれども、其他の一要素たる時間の観念 は殆んど全く之を忘失したるが如し。之を西洋哲学者の緻密なる 思想に対比すれば、遥かに及ばざる点あるが如きも、当時我学界 哲学的考察、未だ全く萌芽を発せざる時に方りて、嶄然として一 種の機軸を出しゝは、最も多とするに足る。吾人は、復た徐ろに 想起す、王陽明子が朱子学全盛の時に際して、廓然大悟せる自説 を唱道したるが如く、我国に在りて朱子学盛運の秋に崛起し、幕 府の奨励に背反し、堂々自説を主張して一歩を譲らざりしは恰も 東西符を合するが如しと、中斎子を読むもの、誰か其精神の勇猛 に感して、勃然奮起せざらん。 中斎は能く太虚説を唱へ、天人合一の大観念を懐きしも、性急に して発怒し易く、夫の王陽明の寛洪大量洒々落々たるに似ず、屡 世人をして其過激を議せしめたるが如し。特に矢部駿河は中斎を 評して、「平八郎は肝癪の甚しき者に候」と云へり、然れども聡 明果毅にして、謹厳自ら持するの風あり、其志の高尚にして々 鑽仰、直ちに聖賢に伍せんとし、威武権貴の為めに屈せす、富貴 利禄の為めに動かず、正々堂々、俯仰天地に愧ぢざるの行為は、 最も称すべきものあり、自家の所信を貫徹して、身命を顧みず、 蒼生を塗炭に救はんとして、遂に自ら黒焼となりて死せしは彼の 希臘の聖人ソクラチースが道の為めに毒を仰きしと全く其旨趣を 同くす。特に我邦に在りて陽明子を信奉したる三大家の後に出で、 優に其学脈を紹ぎしのみならず、更に一歩を進めて、剏姑特見の あるあり、知行合一の主義を唱へて、知行合一を証せしは、在天 の王陽明に対して優ることあるも劣ることなし。或は曰く此点に 於ては王陽明を抜くこと更に一等なることを見ると。盖し過当の 言ならざるべし。























小山松吉
「矢部定謙」
 その1
 


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