Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.5.30

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩騒動と天保改革」

その4

高須梅渓(1880-1948)

『国民の日本史 第11編 江戸時代爛熟期』早稲田大学出版部 1922 所収

◇禁転載◇

第十九章 大塩騒動と天保改革
  第一節 大塩平八郎の人物と其周囲(4)
管理人註


堕落僧を一
排す














一身を賭し
て奸吏の汚
行を摘発す

 当時、僧侶の堕落は、大阪に於てどん底に達して居た。中にも、俗に 「かしく寺」と称した北野の寺では、住職が加持祈祷に托して婦女を誘 惑すると云ふので有名だつた。平八郎はそれらのことを憤つて、再三彼 等を戒飾した。而して尚ほ改めない悪僧数十名を捕へて、遠島の刑に処 したのである。次ぎに弓削新右衛門らを糺弾することに就いては、平八 郎も決死の覚悟を以て事に当つた。  と云ふのは、弓削は大阪与力中の故老で、市政上古くから権力を揮つ て居たからである。彼れは一面、その同僚の一部や、年寄、総年寄とも 親しい関係を持つて居たのみならず、他面非人頭や俗に「猿」と称した 今の刑事巡査のやうなものを使嗾して、市民の僅かな失行を剔抉して脅 迫を加へ、金銭を貪つて居たのだ。だから、若し弓削の罪跡を洗ひ立て ると、却つて弓削のために搆陥されされる恐れがあるばかりでなく、各 方面に影響を及ぼす為め、どの与力も知つて知らぬ振をしてゐた。高井 実徳はそれを残念に思つて、特に平八郎に官紀振粛のために其巨腕を揮 ふことを求めたので、平八郎も一身の利害を度外に置いて、糺弾の手を 加へたのである。其結果、弓削は罪を悔いて自刃する、余党は刑場に晒 されると云ふ帰着を見ると共に、其贓金三千両を没収して、貧民救恤に 宛てることが出来た。それは文政十二年三月のことで、大阪市民は、深 く平八郎に向つて感謝した。



















使嗾
(しそう)
指図してそそ
のかすこと

剔抉
(てっけつ)
えぐりだす
こと

搆陥
(こうかん)
はかりごとを
かまえて人を
罪におとしい
れる

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