Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.4.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その10

丹 潔

(××叢書 第1編)文潮社 1922

◇禁転載◇

第二章 与力時代
 第二節 官吏の腐敗 (4)

管理人註
   

 其の翌日、弓削新右衛門は割腹した。彼に説き伏せられた天満の作兵衛、 鳶田の久右衛門、千日の吉五郎等の主魁も割腹を遂げた。其の部下は、割 腹したり、何処かへ姿を隠したりした。  平八郎の力によつて全く滅却された。高井山城守は、彼の才智を驚異す ると同時に賞讃した。根本的に悪党が廃されたので、大阪の民衆は双手を 上げて喜んだ。それは高井山城守の力だと思つたが、後で大塩平八郎だと 解つて、彼を『民衆の神』とか『民衆の生仏』とか、謳歌するやうになつ た。  その当時の大名は、民衆に偶像崇拝視されてゐた。しかし表面上は尊敬 されてゐた。それに反して大塩平八郎は、民衆から親しまられ、愛されて ゐた。そこに彼の偉大なところがあつた。民衆を引きつける尊いものがあ つた。  平八郎と大名の差は、釈迦と田舎の小学教員ぐらゐであつた。若し彼に 尊敬振つた名を贈るなれば、それは『愛の教師』としたい。即ち彼の愛に よつて、市街は改造されたのであつた。  或る大名は、彼の人間としての価値や、仕事に対する真実さに恐怖の念 を抱いてゐた。それは彼が或る機会に乗じて、民衆の一角に旗幟を立てる と推測したからだ。また或る大名は彼の人格を認めて、共に事業を計企し ようとしたが、確と拒絶された。それほど彼は人望があつた。真の人間に ならうと努めた彼は、謙遜をし、さうして真実に生きた。それが却つて人 望を光らす本源となつた。  平八郎は弓削新右衛門一派を滅廃するのは、容易でないと考へてゐた。 若し言論で解決が出来ぬ場合は、どうしても暴力を用ゐなければ、事が成 就せぬと思つてゐた。その度に死を覚悟してゐた。さうして自分の身辺を 総て妻のゆうに頼んだ。  ゆうは曾根崎新地一丁目、大黒屋和市の娘で、その当時、ひろと呼んだ。 平八郎が学業の余暇に、悪友に誘はれて、青楼に通ひ、廓の酒に浸つてゐ るうちに、彼女と恋に落ちた。しかし世の中を繕ふ為に、文政元年頃、摂 州般若寺村百姓忠兵衛の妹分として、大塩家に迎へられた。その不自然の ことは自分もよく知つてゐた。それは周囲の事情の為であつた。さうして 当分、妾として置いた。その時、平八郎が、廿五六で、ゆうが二十歳前後 であつた。


幸田成友
『大塩平八郎』
その25

 


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