Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.5.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その37

丹 潔

(××叢書 第1編)文潮社 1922

◇禁転載◇

第四章 民衆は動く
 第一節 饉飢と圧迫 (1)

管理人註
   

 天保四年の秋から翌五年にかけて、米価は暴騰した。  民衆は豆飯、芋飯、大根飯などを食べて、やつと生命を繋いでゐた。そ れは諸国が飢饉であつたからだ。大資本家はこれを好機会として、益々物 価を狂騰させて暴利を貪つた。けれども幕府は見て見ない振りをしてゐた。 何故ならば当時の富豪は幕府の御用金貸附所のやうになつてゐたからだ。 幕府なるものは資本家によつて維持されてゐた。  民衆は幕府の製作を批難し攻撃し始めた。しかし幕府は馬耳東風の態度 をとつた。それで幕府を罵つた者は片つぱしから牢にぶち込んだり、ひど い目にあはした。今や民衆の眼前には飢ゑ、背後には圧迫が控へた。民衆 は死の世界にゐるのと同様であつた。  余りの痛罵にほんの言ひ訳に幕府は御用学者を呼び寄せて、『民衆が米 を安くしろ』とか『幕府を倒せ』とか云つて仕方がないから、安値で生活 の出来る本を書いてくれと頼んだ。学者は即座に承知して『安値で腹を充 す法』とか『幕府が民衆に対する政策』とか『怒るな働け』とか、云ふよ うな可い加減な慰め物、即ちごまかし小冊子を刊行したが、一杯の飯も食 へない民衆は、そんな小冊子が買へよう。たとへ、買つて読んだところが 何んにならう。飢ゑて死にさうな人間の前には、お説教や理窟は糞や小便 と同様である。  小商店は店を閉めた。質屋は流質ばかりだ。衣物やその他の物は販路が 塞つた。大都会の中以下の店は総て戸をおろした。切迫詰つた大坂の西町 奉行の矢部駿河守定謙、東町奉行の戸塚備中守忠栄の両人は幕府の命を待 たずして左の如き命を下した。  (第一)米の買占、或ひは囲持など人為的の手段を以て米価を引き上げ      んとする奸商共を取締ること  (第二)大坂三郷より他所へ輸出する米高に制限を附するか、或ひは全      く輸出を禁止すること  (第三)酒造用に供する米高に制限すること  (第四)諸侯に促して大坂廻米額を増加せしむること  しかしこんな訓令は何んにもならなかつた。この四ケ條が出てから、資 本家側は益々悪辣な手段を用ゐた。民衆は飢ゑに泣くばかりであつた。  両奉行は世間の手前、大坂の大資本家たる鴻池屋善右衛門、加島屋久右 衛門、平野屋五兵衛等に金と米を民衆に差出すように命じた。彼等は当座 の鼻薬として僅少の金と米を民衆に投げた。  どうやら五年の秋は豊作を迎へるようになつた。民衆はやつと一息をつ いて喜んだ。  然るに同七年の夏に大雨が屡々降つた為に、また米作は不凶となつた。 米価は六月の下旬には非常に暴騰した。また民衆が騒ぎ出すと考へた町奉 行は堂島市場に令を下した。糶買、または買占囲持によつて、暴騰させて はならぬ。若しそれを行つた者があつたら、直に処分するとおどかした。  町奉行は他所へ輸出する米を制限した。而して毎日米を調査した。また、 酒造類をも制限した。  大坂附近の民衆は秘密で大坂の市中へ五升とか一斗とかの米を買ひに出 た。町奉行所は、その民衆を捕縛して牢にぶち込んだり、相当の処分をし たりした。これを耳にした平八郎は、『幕府の野郎はひどいことをする。 自分の失策を棚に上げておいて、圧迫するなんて怪しからん。米の五升や 一斗を買ふ民衆を罰する前に資本家の横暴を見よ。資本家は殺人であり盗 人だ。どうしても彼等を殺さなければならぬ。』と憤慨した。  平八郎の門弟も憤慨した。彼等は幕府と資本家の悪口を民衆間に云ひ振 らした。民衆は幕府と資本家に益々悪感を抱いた。




幸田成友
『大塩平八郎』
その100














































































糶買
(せりがい)
多数の買い手
がせり合って
買うこと


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