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平八郎は門弟と騒動の準備に怠りなく掛かつてゐる間に、米穀の価は非
常に騰つた。貧乏人の中で飢死する者が多くなつて来た。それらの状態を
ぢつとして見てゐられなくなつた。彼は、自分の蔵書を全部売払つて六百
余両を調達した。その金を以て壱万軒に金一朱づゝ施す事にした。それを
出入りの書店の店員四人の周旋で二月上旬から、施与に着手した。その当
時は民衆に米や銭を施す時は一応、町奉行所へ届出でなければならなかつ
た。平八郎はそれをしなかつた。その理由のもとに彼は跡部山城守から詰
問された。で、平八郎は隠居の身分故、別段御届にも及ぶまいと存じたと、
その不注意を謝し、且つもう一日で終はるが、中止しようかと伺ひ出た。
施行米を町奉行の手で止めたとあつては世間体が悪いので、跡部にとつて
不利益でもあり、其の上米銭政策の方法も明白である以上は、左程までに
咎め立てする訳もないから、その儀に及ばぬとこれを許可した。しかし彼
は非常に
【2行ほど欠】
に天満に出火の際は、必ず駈付けて呉れと厳重に申伝へた。この施与は単
なる慈善心からではなかつた。
平八郎はこんどは多くの施与をするに当つて自分が表面に立つては町奉
行の圧迫もあると思つたから、門人に施行札を配布せしめた。しかしこれ
を受けた村は、門人のゐる村か、或ひはその附近の村であつた。
摂津東成郡
磐若寺村――には忠兵衛、源右衛門、伝七。
善源寺村。
沢上江村――には孝太郎。
猪飼野村――には司馬之助。
下辻村。内代村。馬場村。開目村。今市村。千林村。中野村。
友淵村。江野村。別所村。中村。蕊生村。南島村。辻村。
森小路村――には文哉。
摂津川辺郡
伊丹植松村――には善右衛門。
伊丹町。
河内茨田郡
池田下村。池田中村。池田川村。北島村。北寺方村。守口町。
門真三番村――には郡次、九右衛門
稗島村。世木村。
河内志紀郡
弓削村――には才次郎。
河内渋川郡
衣摺村
河内交野郡
尊延寺村――には利三郎。
右に掲げた通り、六郡の中の三十三村であつた。これらは民衆を収攬す
る一方法であつた。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その111
磐若寺村
「般若寺村」
が正しい
開目村
「関目村」が
正しい
深尾才次郎
は尊延寺村
が正しい
西村利三郎
弓削村が
正しい
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