騒動には暴力者がなければ成就することが出来ないと考へた平八郎は、
彼等を蒐集することに苦心した。
その第一の方法として百姓及び人夫に目を注いだ。平八郎は自分の附近
の村に繁く足を入れて百姓等に施与した上に、過激なる思想を振り掛けた。
百姓は動き始めた。
第二の方法は伝統的に圧迫された特殊部落に目を着けた。彼等は階級意
識に鋭敏であるから、非常に叛逆の精神に燃えてゐるのである。
大坂は南渡辺村、其他多くの特殊部落がある。これらの社会は人間社会
として認められてゐなかつた。新平民そのものを人間として認めていない
のだ。人間として生れながら、これほど不幸な、さうして哀れな事があら
うか。平八郎はその社会に非常に同情してゐた。涙と愛とを注いだ。天保
七年の冬に同志の坂本鉉之助は、その社会の小頭を招いて難渋の者へやつ
てくれと金五十両を渡した。その小頭にも長脇差を与へて、若しこの近辺
に火事が起つたら、みんなを引連れて、こつちへ来て働いてくれと約束し
た。
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