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平八郎は天保八年二月十九日に騒動を起すことに決めた。
その理由はかうである。西町奉行矢部駿河守が九月に江戸に帰つた。そ
の後任として、堀伊賀守に任命が下つたのは十一月で、大坂に着したのは
二月二日であつた。恒例に従つて、同勤の東町奉行跡部山城守と共に三回
に分つて市中を巡見するのであつた。
初度は北組、二度目は南組、三度目は天満組だ。天満組では堂島の米市
場、天満の青物市場、天満神社、惣会所などを巡見した後、最終に与力町
に廻り、大塩邸のすぐ向側なる与力朝岡助之丞の邸へ立寄つて休息するこ
とに決つてゐた。その期日が、この十九日の午後四時であつた。この機会
に乗じて同邸に暴れ込み、また両町奉行へ大砲をぶつ放してから、市中に
放火し、富豪の倉庫をぶち壊して、その貯蓄物を貧乏人に投げださうと計
企した。
平八郎はこれを孝右衛門、及びその甥儀次郎に命じた。孝右衛門はむか
しから知り合ひになつてゐる豊後町の貸座敷業亀屋金兵衛の一室を借りよ
うとしたが断られた。彼の紹介で松江町の貸座敷業亀屋新次郎方の一室を
借りた。そこに孝右衛門と、その甥儀次郎と滞留する事になつた。東町奉
行所に対して同様にそれが行はれないのは、附近に適当な貸座敷がなかつ
たからである。
遂に十九日の朝になつた。
儀次郎は孝右衛門の来るのを待つてゐたが、同志の数人は捕手の為に悩
まされて散々の目に遇つたと云ふことを、儀次郎が聞いて、急に恐怖を感
じて逃走したが、捕縛されてしまつた。
十八日の夜、大塩邸で酒宴を兼て同志の会合を催した。出席者は――渡
辺良左衛門、近藤尾五郎、庄司義左衛門、孝右衛門、忠兵衛、源右衛門、
伝七等であつた。孝右衛門の外四名は同邸に泊つた。
この計画が成就する間際に、東組同心平山助次郎、同吉見九郎右衛門、
同河合郷左衛門の三人は変心して、スパイになつた。彼等は利慾と臆病に
走つた。しかし十七日に郷左衛門は三男の謹之助を伴れて逃走した。
十七日の夜、助次郎は秘密に跡部山城守の所へ駈け込んだ。用人野々村
次平の取次で奉行に面会して大塩一派の計画をばらした。山城守のはから
ひで助次郎は矢部駿河守に宛てたる書簡を持つて陳情の為に十八日の暁方、
江戸を指して立つた。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その115
天満神社
「天満天神社」
が正しい
近藤尾五郎
「近藤梶五郎」
が正しい
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