Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.6.3

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その47

丹 潔

(××叢書 第1編)文潮社 1922

◇禁転載◇

 第七節 計画は破れた (3)

管理人註
   

 町奉行方では跡部山城守の考察で、平八郎の叔父にあたる東組の与力大 西与五郎をだしに使つてて、平八郎に詰腹を企てるように進言したが、時 はもう遅かつた。一同が繰出す所であつたから、接近することも出来なか つた。さうして役所へも帰らずに逃げてしまつた。また捕手を出したが、 これも彼等の烈火の如き勢に恐れて引返した。鉄砲奉行に声援を求めたが、 鉄砲同心の力が貧弱である為に駄目だつた。到頭、定番の遠藤但馬守胤統 へ力を貸してくれと頼んだ。但馬守は喜んでこれを承諾した。  彼が玉造口与力坂本鉉之助、本多為助、蒲生熊次郎の三人に同心三十人 を引連れて、跡部山城守官宅へ、早くも詰めるようにとの定番の令が下つ た。命令の如く、右の与力三人は十匁筒、同心は三匁五分筒を持つて、早 足で東町奉行の官宅に行くと、此所の者は非常にあわてゝゐた。屋敷内に 甲冑着用の者が多数ゐた。さうして彼等は抜身を提げてゐた。  玄関から通つて、山城守に目通りすると、山城守も具足着用、冑を高紐 に掛けて床几に腰掛けて石のやうに堅くなつてゐた。一同を見ると、床几 から離れて叮嚀に会釈して、御力添へ辱いと述べた。さうして彼は大筒の 御持参を願ひ度いと、仕方がなく百目筒を蒲生熊次郎に与へた。  坂本鉉之助は山城守の案内によつて庭へ下りて、固めの場所に出た。  天満の方は黒烟が蒙々と上つてゐた。大筒は頻々と鳴つてゐる。喊声は 上る。  これは大変だと、思つた坂本鉉之助と本多為助との両名は、山城守に御 出馬して如何ですかと質したが、聴入れなかつた。  火の手は益々拡つた。大筒の響は荒くなつた。  両名は山城守に出馬を迫つたが、黙つて首を振つてゐた。彼は蒼くなつ てぶる/\顫えてゐた。彼は実に臆病者であつた。  山城守の心情が読めた両名は、また一策を講じた。――東照宮の御社に 火が写ると云ふと、山城守は仕方なしに馬を動かすことにした。種々と仕 度をしてゐると、新たに到着した与力四名と同心小頭二名とが、大筒の準 備をして来た。彼等は蒲生熊次郎の周旋であつた。  山城守配下の玉造に援隊は合計与力七名、同心三十二名となつた。与力 は玄関前に、同心は門前に整列してゐた。軅て山城守は玄関先に見えた。 坂本鉉之助は、同心を引卒して先頭に立つた。その先に山城守の纏を立て た。その少し前に一人の案内者が立つた。この時は既に午後二時であつた。  山城守の出馬に先だつて、堀伊賀守も、城代土井大炊頭利信殿から、出 馬の命令が下つた。山城守はそれを東町奉行に伝達した後、自分達は一足 御先にと云つて、京橋口与力広瀬治左衛門の同心三十人を引卒して走つた。  島町筋を西に御祓町筋の辺まで来ると、大塩派が高麗橋を渡り掛けたの で、『救民』と大書した白い旗が、チラ/\見えた。御祓町筋から、そこ までは四町ほどの距離であつた。『打て』と伊賀守はあわてゝ叫んだ。  一同は小さな三匁五分筒を一斉に放したが、弾丸は届かなかつた。その 音に驚かされた伊賀守の馬は荒れ出した。巧に乗り鎮めることの出来なか つた彼は落馬した。彼が打たれたと早飲み込みした一同は、ぱつと散つて しまつた。取残された伊賀守はぶり/\怒りながら、塵埃を払つて登馬し た。さうして御祓町の会所へ辿り着いて休息した。治左衛門も京橋口へ退 いて、同役馬場左十郎に委細を物語つて、二人づれで東役所の長屋前にぼ んやりと立つてゐたと云ふことである。この騒ぎは大塩派は一向知らなか つた。





幸田成友
『大塩平八郎』
その133






























































大炊頭利信
「大炊頭利位」
が正しい

東町奉行は山
城守であるから
ここは伊賀守


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