Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.6.4

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その48

丹 潔

(××叢書 第1編)文潮社 1922

◇禁転載◇

 第七節 計画は破れた (4)

管理人註
   

 山城守は其後へ繰出した。内骨屋町筋から内平野町を西へ進んだ。そこ で大塩派と出遇つた。大塩派から山城守の纏を目掛けて猛く発砲した。こ ちからも一斉に発砲した。一人の人夫風の死体を残して、大塩派は引き払 つた。彼等は平野橋を渡つて、東横堀川に沿つて南下した。淡路町に折れ た時は、同勢は減じて漸く百人ぐらゐであつた。  坂本鉉之助も同様の方向に進んだが、黒烟の為に一寸先も見えなかつた ので引返してしまつた。左に折れて松屋町筋を南下して、山城守の本陣を 駈抜けた。それから更に右に転じて平野橋と、隣りの思案橋を渡り、行き 当つて南に向つて進んだ。さうして瓦屋町に折れた。為助は少し後れて同 じ方向を辿つた。  山城守は一同から遥かに遅れた。彼は顫えながら、他の者に『先へ先へ』 と命令した。  大塩派は淡路町へ、鉉之助、為助などは瓦屋町へと、その二つが平行し て暫く進んだ。大塩派の方が早かつたので、辻を見守つて進んだが、八百 屋町筋へ出るまでは山城守派の影も形も見えなかつた。  堺筋に出ると双方は睨み合ひの形となつた。激烈に鉄砲を打ち交はした。 市街だから、双方は両側の民家に飛び込んで、陣営を張つた。戸を立てた り、木片を積み重ねたりして、その蔭から狙撃した。暫く丸を交へたが、 勝敗は容易に決しなかつた。  大塩派の大砲方が、大砲の車台について、少しづゝ西へ退くのを見た。 彼は台筒を楯に取つて、顔を下げてゐたが、腰の方が台の上にちよつと見 えてゐたので、これを目標とした山城守は大砲の火蓋を切つた。一打に斃 れた。彼は彦根藩の浪人梅田源左衛門だ。山城守は彼の首を刎ねて槍先に 貫いて持ち歩かせた。四辻へ出て見たが、大塩派は四散して影も形も見な かつた。名も知れぬ屍体が一つ斃れてゐた。民衆は狼狽してあちらこちら に飛び廻つてゐた。東の方は猛火が狂つてゐた。  街上に大塩派が放棄したのは、百目玉筒三挺車台附、巣に四寸ばかりの 木砲二挺、長持二棹、具足櫃二荷、火薬入革葛籠十余個、小筒三挺、槍三 四本、太鼓一個、旗二本等であつた。この中に平八郎の持槍があつたので、 山城守は非常に喜んだ。その近傍の町家に隠れてゐた安田図書を、同心の 高橋弥兵衛が発見して直に捕縛した。  伊賀守は暫く休息してまた出掛けた。内平野町の衝突後、山城守に出会 つたのだ。そこで二手に分れて、大塩派を挟打ちにしようと相談した。山 城守の馬廻りにゐた脇勝太郎、外二名が伊賀守の先鋒となつて、本町橋附 近まで進んで行つた。肝要な伊賀守は半町ぐらゐ遅れて、ぶら/\やつて 来た。その隊の鉄砲同心も初めは二十人ほどゐたのが、瓦町堺筋辺へ来る と、僅かに十三四人になつてしまつた。彼等は皆遅れてゐた。勝太郎は幾 度も『早くお出で下され』と大声を放したが、それを実行する者が一人も なかつた。  彼は皆に向つて、『意気地なしの腰抜け武士』と罵つたが、反抗する者 さへなかつた。彼は歯を喰ひしばつて苦笑した。  北の辻で鉄砲の音が烈しく鳴つた。急いで駈けつける途中に、槍二本と 粗末な大小一腰とが落ちてゐた。それを分捕品とした。そこで両町奉行が また落合つた。さうして一手になつて、淡路町を西へと進んだが、何者の 影も見えなかつた。引返して、本町橋東詰で両奉行は分れた。山城守はそ のまゝ入城した。坂本鉉之助その他四名、並に同心一同は、奉行所へ帰つ て休息した。



幸田成友
『大塩平八郎』
その140

内骨屋筋
「内骨屋町筋」
が正しい













































梅田を撃つた
のは
坂本鉉之助



幸田成友
『大塩平八郎』
その143






幸田成友
『大塩平八郎』
その142


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