|
大塩派は淡路町での衝突の後、町奉行側に鉄砲を向けても敗けると平八
郎は考へた。それで彼は同志に向つて、『諸君は疲れてゐるし、丸はない。
町奉行の奴等の力には叶はぬから、一先づ随意に解散しようぢやないか。』
と云ひふくめた。同志は涙を飲んで四散した。平八郎外十余名はすぐ民家
に隠れながら、或る家の塀を破つて平野町へ現はれた。避難者に紛れ込ん
だ彼等は、東横堀から天神橋の東の八軒尾へ出た。四時頃だつた。
こゝまで落ちのびたのは平八郎父子に済之助、良左衛門、義左衛門、孝
兵衛、忠兵衛、源右衛門、利三郎、左衛門、郡次、三平、済之助若党周次、
作兵衛の十二人であつた。暫く天満附近を上下した焔火は物凄く上つてゐ
た。うか/\上陸すると、捕縛されると思つた彼等は、舟の中で種々相談
をした。
平八郎は同志に向つて、
『かうなつた上は、我吾は覚悟しなければならぬ。拙者は火中に飛び込ん
で死ぬ。』
と、きつぱり云つて、忠兵衛に、
『貴殿は甚だ迷惑だらうが、この事をゆうとみねに話してはくれまいか。
さうして両人に自殺を勧めてくれ。』
忠兵衛は涙を流しながら作兵衛の手を取つて上陸した。
『諸君のうちで逃げたき者は自由に・・・・。拙者は強ひては勧めぬが・
・・・』
と、平八郎は淋しい同志の顔を見張つた。
すると済之助と若党周次は直ぐ上陸した。両名は涕り泣いて同志と別れ
た。さうして源右衛門、利三郎、郡次、九右衛門は続いて立去つた。最後
まで残つた平八郎は同志と共に東横掘の新築地から上陸した。暫く物蔭に
隠れて行先を協議した結果、良左衛門、済之助等が、平八郎の自滅を止め
た。兎に角一旦は遠国へ落ちのびることに決めた。四ッ橋に来ると刀を水
中に棄てゝ脇差一本になつた。ぶら/\と下寺町まで来ると平八郎は孝右
衛門と三平に金を渡して、
『自分はやはり火中自滅をやるから』
と、諭して別れた。平八郎父子の外に済之助、良左衛門、義左衛門等に
なつた。寺町筋を北へ或ひは西へと逍遥つた。彼等は火中に飛び込もうと
して火事場に近寄つたが、あまりの混雑で機会を見失つてしまつた。その
うち義左衛門はゐなくなつた。
|
幸田成友
『大塩平八郎』
その150
八軒尾
「八軒屋」
が正しい
孝兵衛
「孝右衛門」
が正しい
左衛門
「九右衛門」か
十二人
「十四人」が
正しい
|