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も
文之助が養子になる間もなく、その年の五月、養父はふとした病気が原
と
因で、三十歳を一期としてこの世を去つたが、その悲しみの涙の未だ乾か
ない翌年の九月、またもや養母と新しい別れをしなければならなかつた。
とこはる
従来は常春のやうであつた大塩一家も、それがために秋雨の空のやうな淋
しい家庭となつてしまつた。
と
年老つた養祖父母は、文之助が一層不憫でならなかつた。二人は人並外
れて粗暴短慮な文之助の行末を、無事安穏であれと思はない時はなかつた。
けれども三つ児の魂百までで、文之助の粗暴と負けじ魂とは、年と共に募
る一方であつた。
木枯の吹きすさぶ晩秋の夕暮のことであつた。文之助は例によつて近所
ぎは
の子供達を狩り集めて、天満橋の橋際でハツケヨイヤの掛け声も勇ましく
すまふ
角力を取つてゐたが、さすがに餓鬼大将になるだけあつて、誰れと組んで
も負けるやうなことはなかつた。
な
『さあ、誰れか向つて来い、何あんだ、もう誰れも来ないのか、君達も思
つたより弱いなあ。』
ゆ
さう云つて、文之助は得意満面になつて肩を揺つた。その時、俄に半鐘
あたり
が鳴り出した。四辺が急にざわめき出した。ばたばたと火事場をさして往
く人人のわめき声を聞くと、出火は橋向ふの西の町であつた。ヂヤン、ヂ
けたたま
ヤン、ヂヤン。人の心を掻き乱すやうな消魂しい半鐘の音は、吠えるやう
こがらし
に吹きすさぶ木枯と入り乱れて、刻刻と暮れて行く空は、物凄い火の粉の
海となつていつた。
今まで角力に余念のなかつた子供達は、その恐しさに心脅えて、わあ、
わあと泣きだした。それを見ると文之助は笑ひだした。
『何んだ、泣いたつてしやうがないぢやないか、大丈夫だよ、火事はぢき
消えるだらう、ほら、もう火の手が大分弱つて来た』
はるか
文之助は橋の中央へ立ちはだかつて、遥に燃えしきる町を眺めてゐた。
あわただ ひづめ
その時、そこへ慌しい蹄の音を響かせて来たのは、代官篠山十兵衛とその
ちうげん
配下の者であつた。一行は提灯を持つた二三人の仲間を先頭にして、橋の
袂にかかつて来た。
ひ
『退け、退け、篠山様の御出馬だ、危いぞ、退け、退け、』
まんなか
橋の中央に立つて火事に身入つてゐた文之助には、仲間の大声も耳に入
らなかつた。仲間は怒つて、
ど
『馬鹿、退かぬか、危いツ。』
と、頭から口汚く浴びせかけるとともに。そのまま文之助を横抱きにし
みちばた
て路傍へ放り出し、さつさと駈けて往つた。文之助は口惜くて残念でたま
らなかつた。彼は起きあげるなり。
『どうするか見てゐろ。』
と云ふかと思ふと、そのまま代官の跡を追つて往つた。そして代官の一
行に追ひつくや否や、刀を抜いて飛びだし、先頭に立つてゐる仲間の提灯
に斬りつけた。
『狼籍者ツ。』
ひてう くぐ
二三の者が騒ぎだした頃には、文之助は飛鳥の如く群衆の中を潜つて、
何処ともなく姿を消してゐた。これが文之助が九歳の時のことであつた。
この事件は誰が知るともなしに知れて、それが文之助の養祖父母の耳へ
も入つた。養祖父はこれを聞くと、思はず嘆息した。
『これは到底わし等の力では駄目ぢや、当人が相当に成人して、成る程こ
れは悪い性質だと、自覚する時代が来て、自ら顧み、自ら改めるより外に
路はない、しかし、それにしても、このままでゐたら、それこそ何を
し で か
仕出来すか知れたものでない、これ以上何事も起らなければいいが。』
養祖父のこの言葉は決して一時の杞憂ではなかつた。その翌年になつて、
文之助はふとしたことから、同僚十四五人と口論を初め、遂に一刀を抜い
さいはひ
て二三人に負傷さした。幸に負傷は大したものでなく、養祖父が亦必至と
なつて運動したために、事は表向きにならずにすんだが、しかし、かうな
うち
ると養祖父も世間の手前があるので、平然と文之助を家に置くわけにはゆ
かなくなつた。そこで、いろいろと相談をした結果、表向きは勘当と云ふ
てい もと
体にして、文之助が最初養はれてゐた母の親戚の塩田喜左衛門の許へ預け、
つ
文之助が十三歳になるのを待つて、再び養子と云ふ形にして家へ伴れて来
た。その時から文之助は、名を平八郎と改めた。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その11
幸田成友
『大塩平八郎』
その10
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