Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.1.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その3

田中貢太郎(1880-1941)

『大塩平八郎と佐倉宗五郎』
(英傑伝叢書10)子供の日本社  1916 所収

◇禁転載◇

一 栴檀の芽 (2) 管理人註
  

                      ひごろ  ある日養父母は良いことを思ひついた。それは日比信仰してゐる住吉明 神へ、文之助を連れて日参するといふことであつた。そして、養祖母はそ                     の日からそれを実行した。二人は毎日打ち伴れて住吉へ往つて、住吉明神     ぬか の神前に額づいた。文之助も養祖母と並んで、神妙に小さな両手を合せて ゐた。 『こんどこそは。』                みち  養祖母は神前にさがつての帰り途、いつも自信ありさうに呟いてゐたが、 その満願の二十一日の日になつても、文之助の性行は少しも変つてゐなか つた。                  『神様でもなほしてくださることが能きないのか。』  一家の者は吐息を漏らした。                       ひざし  ところが、ある日のこと、養祖母が縁先で暖な陽光を浴びながら縫物を してゐると、ひよつこりと庭木戸を開けて入つて来た者があつた。それは 出入の道具屋の甚兵衛爺さんであつた。 『へえ、御隠居さま、暫く御無沙汰いたしました。』 『これは甚兵衛か、暫く見えなかつたの。』 『どうも御無沙汰ばかりいたしまして、何んともはや申しわけがございま せん。へい、今日は結構なお天気でございます、ちよつと御隠居さまに御 覧に入れたい物がございまして。』 『さうかえ、どんな物だえ。』 『実はこれでございますが。』  さう云つて甚兵衛が風呂敷包を解いて取り出したのは、真黒に汚れた古 書五六冊であつた。 『どれ、どれ、その書物か。』  養祖母が手に取つて見ると、それは大学、中庸、論語、孟子の四書の古 書であつた。 『おお、これは四書ぢや、これを何処から手に入れたのぢや。』 『さるお武家さまから買ひ取りました、へい。』   さ う 『左様か、それでは、これをわたしに譲つて下さらぬか。』                   こちら 『へえ、へえ、有難うございます、実は此方様へお願ひしたいと思ひまし て。』         いくら  甚兵衛はそこで幾何かの代金を受け取つて帰つて往つた。養祖母がこの             わ け 四書を買ひ取つたのには理由があつた。それはこれまで神仏にすがつて矯 正しようとした文之助の悪癖を、書物によつて矯正しようと思ひだしたが ためであつた。二三日して、養祖母は文之助を膝元に呼んで、例の四書を 出して見せた。文之助はそれを無心に眺めてゐたが、やがて、    ば あ 『お祖母さま、どうぞ教へてくださりませ。』  と云つて、すぐに養祖母の前に書物を出した。 『さうか、教はりたいか。』           ひそか      えみ  養祖母はさう云つて密に会心の笑を洩らした。そこで、養祖母はまづ大 学を取りあげて読んで聞かせた。文之助はヂツト耳を澄ませて聞き惚れた。                           そとあそび  その日から読書が毎日の日課となつた文之助は、乱暴な外遊がやや少く なつた。養祖母は喜んで云つた。 『これこそ、住吉明神のお蔭ぢや。』












石崎東国
『大塩平八郎伝』
その14

幸田成友
『大塩平八郎』
その10 
 


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