Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.1.12

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『近世日本国民史 文政天保時代』

その11

徳富猪一郎(1863-1957)著 民友社 1935

◇禁転載◇

    一一 改鋳・新躊に就て幕府の利得

日用の不 便 数品の増 加 南鐐改鋳 による幕 府の利得 品質改悪 弊政中の 弊政 幕府の利 益 出目納 銀座の利 益金上納

如何に貨幣が複雑となりて、日用に不便多かつたかは、左記を見ても、 其の一斑を知る可し。  我等少年の頃は、小判、小粒、商銀南鐐の外に、通用貨幣なし   (原註 大判丁銀は、平日通用するものにあらず)。故に甚だ簡易   にして、極めて知易かりしが、文政の比に、二分金を鋳しより、金   銀吹替ありて、今は中々、其の数品の殖へ行きて、うるさき迄に至   りぬ。南鐐の鐐の字は、銀の美なる者なりと字書に見へて、最上銀                        の名なり。二分金の出来し始に、其大さ粗ぼ南鐐の大さに近く、唯   色に黄白の差あるのみなりしかば、「弐朱やりて、座頭弐分ほど礼   をいひ」と云ふ川柳出来たり(原註 此時南鐐吹替ありて、形小く   成りし故、陰に譏を含みたるなり。)是にて元金銀の形を知るべ   し。〔喜多村香城、五月雨草紙〕 抑も此の南鐐は、明和九年九月創鋳したるものにて、其の重量は、二匁 七分五厘と云ふ。然るに文政七年二月に至りて、嵩張りて、遠方に持ち 運ぶに困難であるとの口実を設け、其の七分を減じた。此れが前記の新 南鐐だ。即ち川柳の、座頭が二分金と誤認したるものだ。此れは『以南 鐐八片換小判壱両』と、其の貨幣の表面に鋳出してある。而して其の量 は、正しく二匁〇五厘ある可き筈であるが、其重は二匁であつた。即ち               まう 七分五厘だけは、改鋳の為めに贏けたものと云はねばならぬ。 幕府の改鋳や新鋳は、其の量目を減じたばかりでなく、其の品質を悪し くした。例せば文政二年六月の発令に、      大目付え   一 世上通用之ため、去寅年(文政元年)弐分判吹立被仰付、且は     きず   小判瑕金多、難儀之趣に付、追々引替させ候得共、今以瑕金有之、   畢竟元文之度、吹替之儘にて、此上年を経候に随ひ、弥瑕金も多く   相成、際限も無之儀、世上之難儀のために吹直し被仰付候。壱分判   之儀も、年久敷相成、座方之極印分り兼候も有之に付、是亦同様吹   直させ候間、両替等是迄之通に相心得、無滞可致通用候。尤右引替   日限等之儀は、追て可及沙汰候。 と令し、而して同年九月二十八日に至りては、                                    一 此度吹直被仰付候小判、壱分判之儀、来る廿日より追々引替可   遣候。尤有来小判、壱分判之儀も、追て及沙汰候迄は、新金取交請   取方両替ともに無滞可致通用、上納金も可為同前一事。   一 引替に可差出小判、壱分判共、員数相知候事に候間、貯置不申、   段々引替可申、若貯置引替ざるもの相知れ候はゞ、吟味之上、急度   可申付事。 とある。然るに幕府御代官羽田正見は、共著貨幣通考に於て、此事に付 き、左の説をなしてゐる。   按ずるに此金重、元文之旧に仍り、猶毎両三匁五分、分判准之。年     くわんしき かてん   を歴、欸識漫減瑕多き等の言を飾り、金料を減じ官吏を規せし也。   元文より以来八十余年、久しき後改鋳の事あり。世に伝執政水野侯   (出羽守忠成)専決に出と。弊政中の弊政也。是金を文政金と云ふ。 と。されば其の弊は単に貸幣を濫鋳して、通貨を複雑ならしめたばかり でなく、或は其の金銀の量目を減じ、或は其の品質を劣悪にし、以て其 利を幕府に掠めたのである。其の利益の総高に就ては、今ま精確に計上                         ちか し難きも、左記によりて推測せば、其の概念を得るに庶幾からん歟。   古金の改鋳に際して、貨幣鋳造に要する諸入費歩一金、其他一切の                       でめおさめ   工業費を去り、過剰する金を政府に納むるを出目納と云ひ、文政以   来は、之を利益金と云へり。曾て二歩判三千三百八十両余を改鋳し   て、四百九十両の益金を得たりと云ふ。即ち一千両に対し、百五十   両の割(一割五分)の利益ありしなり。元禄八年より、同十六年迄   に、金座より納めたる金銀貨幣改鋳の利益金、凡五百万両なりと云   ふ。〔鋳化図録〕 此の如く改鋳の利益の莫大であつたことは、推して知る可し。   銀座に於ても、出目と称し、銀貨幣改鋳の利益を、政府へ上納した   る事ありたり。即左の如し。   一 金六拾万七百両余    但文政三年六月より同九年十一月迄通用銀吹直益金   一 弐朱銀九十三万両    但文政七年五月より同九年十一月迄通用銀吹直益金〔同上〕 斯る次第なれば、世の中が迷惑する丈、それ丈、幕府には利得が多かつ たことと思はる。

   
 


「近世日本国民史」目次/その10/その12

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ