Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.2.11

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「大塩の乱関係論文集」目次


『近世日本国民史 文政天保時代』

その12

徳富猪一郎(1863-1957)著 民友社 1935

◇禁転載◇

第三章 仙石騒動
    一二 幕府時代に放けるお家騒動

二個の見 逃し難き 現象 黒田騒動 伊達騒動 越後騒動 加賀騒動 秋田騒動 お家騒動 と封建制 度

徳川幕府の始終を通じて、二個の見逃し難き現象がある。其一はお家騒 動であり、他の一は百生一揆である。而して両者共に訴訟、若しくは直 訴の形式もて出で来り、万已むを得ざるに際して、直接行動の一揆とな り、若しくは刃傷となる。要するにお家騒動は、大名の家族中の出来事、 若しくは重なる家臣と、家臣との間に於ける出来事、若しくは家臣対藩 主、領主との間に於ける出来事だ。 徳川時代に於ては、家が本位である。されば、苟も問題と云ふ問題が、 家を対象として出で来るは、決して不思議はない。例せば栗山大膳対黒 田忠之の如きは、重臣が其の藩主を訴へた一例だ。此れは寛永十癸酉年 二月、筑後黒田家の家老二万三千石の大身、朝倉左右良の城主黒田家草 創の功臣、栗山備後利安の男栗山大膳利章が、其の薄主黒田右衛門佐忠 之の罪状を歴挙して、幕府に訴へたが、幕府は両者を対審の上、大膳を 奥州南部に配流した。 又た人口に膾炙したる伊達騒動は、寛文十一年、伊達陸奥守綱村の家臣 伊達安芸宗重が、綱村の後見伊達兵部少輔宗勝、及び原田甲斐等を訴へ たるもの。宗勝は伊達政宗の末子にして、其子は当時の大老酒井忠清の 婿であり。然も伊達宗重は宗勝の罪八條を数へて、之を幕府に訴へた。 幕府は原田甲斐、柴田外記を召して審問し、更らに古内志摩を召して審 問す。志摩の所言、外記の語る所と一致し、宗勝、甲斐等の罪状稍露は る。二月廿七日、酒井忠清邸に於て諸役人列座、逐一審問す。甲斐の辞         をは 弥よ屈す。事既に畢りて、重ねて審問ある可しとて申渡し、退出の際、                たふ 突然甲斐、宗重に切て掛る。宗重斃る。甲斐又た進んで奥に入らんとし                  て、町奉行島田出雲守忠政の為めに斫られて死す。而して四月三日、伊 達宗勝は、山内忠昌に預けられ、其子市正宗興は、小笠原忠雄に預けら る。而して五月二十八日、伊達宗勝が所領を、本家に還附した。 又た延宝年間に於ける越後騒動は、既記の通りである〔参照 元禄時代 政治篇六、七〕。即ち越後高田の領主松平光長の重臣小栗美作対永見大 蔵、荻田主馬等の葛藤にして、遂ひに将軍綱吉の親裁により、美作と其 子大六は、自殺を命ぜられ、大蔵、主馬等は遠島に、而して光長は改易 せられて、其の封土を失うた。 又た加賀騒動や、秋田騒動も、著明なる事件だ。加賀騒動の張本人は、 大槻伝蔵朝元だ。彼は藩主前田吉徳の居間坊主であつたが、長じて藩政 を執り、大いに威福を専らにした。世伝では彼が藩主吉徳を弑したとあ るが、果して然るや否やを詳かにしない。又た吉徳の妾真如院鏑木氏と 通じたとあるが、此れは或は然らんとの説がある。彼は足軽の子にして、 三千八百五十石の大身となつた。而して延享四年十二月、四十五歳にし て、流刑に処せられ、寛延元年四月、配所越中五ケ山祖山村に於て自殺 した。此の事件は、加賀に於ては、重大であつたが、遂ひに幕府へは持 ち出すに及ばずして、事済んだ。 秋田騒動は、全く家督争ひが、其の原因をなしてゐる。佐竹義宣常陸よ                     よしずみ り秋田に移り封ぜられ、第二世義隆、第三世義処、其の嫡子義苗早世し、   よしのり        よしたか 三男義格第四世となり、五世義岑は義格の叔父壱岐守義長の子だ。義岑            よしくに よしかた 嗣子なく、支封式部少輔義都の男義堅を養子としたが、義堅早世したれ ば、義堅の子第六世となつた。而して其の内訌は、実に義堅迎立の際に 始つた。義岑の宗家を継ぐや、壱岐守家より入りたれば、其の嗣を求む る亦た生家に於てす可きであつたが、彼は之を式部少輔家に求め、此れ                             よしざね が為めに両支封間の反目となり、重臣間の軋轢となり、遂ひに義真を毒 殺するに至つた。而して重臣戸村十太夫等は、萱岐守家を扶け、重臣山 村助八郎等は式部少輔家を援け、戸村勝ちて山村破れ、其の一段落を告 げた。 斯るお家騒動の類は、尚ほ沢山ある。若し仔細に吟味せば、何れの大名 でも、殆んど多少に限らず、斯る騒動、若しくはそれに類似の事無きは 無かつた。何となれば是れ殆んど幕府の制度その物が、斯るお家騒動を 起さしむ可き、仕組となつてゐたからだ。病気の生ずるには、必らず生 ず可き理由がある。お家騒動と、封建制度とは、殆んど分離す可からざ る至密、至緊の関係がある。家名万能の世の中には、之を以て競争の目       まこ 標と為すも、洵とに止む可からざる勢である。

   
 


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