Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.2.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


『近世日本国民史 文政天保時代』

その16

徳富猪一郎(1863-1957)著 民友社 1935

◇禁転載◇

    一六 将軍家膏と仙石騒動

評定所一 座再吟味 再吟味急 速決定 再吟味速 決定の原 因 将軍家斉 の関心 役柄斟酌 無用の事 正義の味 方は将軍 脇坂安董 の内諭 川路等の 受書 左京の罪 取も直さ ず謀反逆 上の御配 慮御至当 家斉の配 慮以て知 るべし

川路は尚ほ左の如く記してゐる。   右之通、仙石家の一件、左京の始末白状之趣、執政の聞に達し候処、   事の周防守に拘り候もの有之候に付、寺社奉行一手の吟味に而、済   候と申訳にもいたり不申、結局評定所一座(寺社、町、勘定の三奉   行、並に大小の目付を云ふ)の面々をして、再び吟味せしむること   に相成たり。   然りと雖も、是迄中務大輔殿(脇坂)一手にて、左京めを吟味せし   こと、素より公明を尽して、別に何の子細之義も無之まゝ、是迄の   吟味に基き、同年十一月廿一日より、評定所に於て、再吟味を始め   たり。元来再吟味のこと故、速に糺問をなし行き、既に同日の夜に、   左京並に年寄岩田静馬等、重なるもの共へ、上状之沙汰におよび、   同廿四日に一件のもの共、悉く口書に相成候ひぬ。同廿八日に吟味   済之伺書進達となりたり。〔川路聖謨之生涯〕 此の如く再吟味が一瀉千里にて、片附きたる所以は、其の最初の吟味が、 精明公平であつた故であることは固より云ふ迄もない。而して此の再吟 味は、単に老中たる松平康任(周防守)を憚りて、斯く慎重にしたるの みでなく、幕府の慣例によれば、目見以上のものを審判するに、評定所 に於て、三奉行之に当り、大小監察之に立会ふことであれば、今回の事 も、決して異常ではなかつた。 翻て説く、当時如何に将軍家斉が、此事に関心したるかは、左記を見て 知る可しだ。     中務大輔殿自筆書取   八月七日、越前守殿(老中水野忠邦)、自分(脇坂安董)へ計仰聞   旨如左。   友鵞一件、上には格別之御聴込被為在、段々御尋筋も有之、河内守   (寺社奉行井上)より追々相伺、一座へも評議に御下げ、二た筋に   相成候評議之趣も、委細御承知被為在、自分見込之書面も、入上覧   候処、上思召に被為叶候様之義、誠に以自分規模之義、難有可存、   御同列に於ても、厚く御評議有之候得共、一々上御沙汰にて、其中   周防守殿(当時老中)へ引合候風聞有之、第一被為入御念御事に候   間、吟味中心を配り無油断取扱可申。尤御役柄とて、聊も斟酌いた   し候ては、不相済体に、其旨申上取扱候様、自分へ計申聞置候旨、   上よりの御沙汰に候間、極密被仰達段被仰間之、自分御受申上之、   御内命之趣、誠以難有仕合、奉謹承奉畏候旨、御受に申上之。 此の如く将軍の特旨もて、事の老中松平周防守に関するものありとも、 頓著なく曲直分明に審判す可きを内命した。果して然らば、味方の第一                                あや は将軍である。されば其の審判が、痒き所に手が届いたのも、決して異 しむ可きではあるまい。     中務大輔、被相渡候書取写、八月十九日   今十九日、土岐豊前守殿(当時側用取次)より友鵞一件、御内慮之   件々、内密自分心得被申聞候、先以て上御配慮被為在候段相窺、乍     かんばい   恐奉感佩難有事に候。自分に於ても、猶更取扱方、此上入念瑣細に   心を配り、潔白専一に取扱可申と決心罷在候。依て猥りに可洩こと   は無之候得共、各にも厚相心得、被取調、心附候事は、無遠慮押返   し候ても、又被申聞度、勿論御内命之趣は、口外被致間敷候。 此れに就ては、川路等は、左の受書を、其の長官脇坂安董に差出した。     八月廿日、中務大輔殿へ差上候書附之控   昨十九日、御下げ被遊候御書取拝見仕候処、乍恐上にも御代中之御   政務、後世迄も相残候儀等、厚御配慮被遊候由、御隠密之御沙汰、   薄々御物語被為在、尚御書取を以、別而出精、正路潔白に相心得可        つぶさ   取扱旨等、具に被仰下奉敬承候。右者御代中之御政務との思召、乍   恐御尤之御事と奉恐察候。此節風聞等之如くに候はゞ、仙石左京儀、   仙石家へ心を懸候段、不届至極、何とも可申様無之、家老等之身分   として、諸侯たることを心懸候者、取も不直謀叛反逆にて、右等之   もの、ゆるかせの御政道有之候はゞ、大国之諸侯家老などの内に、                             きざし   同様之者出来申聞敷とは難申、是即下よりして上を潜し候萌にて、                  まこと   其超過可申様も無之次第に有之、寔以上之御配慮、御至当之御事と   奉存候。前文之通、厚御配慮も被為在候一件、取扱被命候末々之私   共に於ても、冥加至極之儀、扨又かく迄に、被思召候上者、先達而   も御書取を以、御沙汰被為在候通、一日も早く御安慮被遊候様、御   裁断之場に至り候様、仕度ものと、私共両人骨髄に徹し存込候に付、   昼夜之辛苦等者、一向に心にも留り不申候間、如何様にも御明察之   御指揮を奉仰、夜を日に継候而、精勤可仕と奉存候。段々厚き思召   にて、内々御物語被遊、身に取筆紙に難尽、奉感佩候に付、此段以   書付御受申上候。御下之御書取弐通返上仕候。     未八月         川路弥吉                 清水次郎助                                   以上を通覧すれば、如何に将軍家斉が、此の事件に配慮したかゞ判知る。       なか 若し将軍家斉微りせば、如何に脇坂、川路等が努力しても、或は其の適 当の落著を見ることが困難であつたかも知れない。

   
 


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