一揆の首
領
谷村に押
寄す
甲府に入
る
凶徒散亡
一揆の原
因
関係者の
処分
傍近大名
亦出兵
江戸に於
ける幕府
の救済
囲米禁止
の触
他国取引
手広くす
べき事
地方の窮
迫推知す
べし
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天保六七年度の饑饉は、やがて甲州に於ける百姓一揆を惹起した。天保
七年八月、代官西村貞太郎支配甲斐国都留郡八十余村の百姓共、徒党し
て蜂起し、処々打毀し、放火狼籍に及んだ。その大将には同郡下和田村
の農民武七、後に森右衛門と改む、六十歳計りの者、赤き陣羽織様のも
のを著し、徒徒を下知し、赤白の布に森の一字を大書したる旗二三十本
を持たせ、おの\/斧鋸、鳶口、竹槍等を携へ、尚ほ右の品々、並に大
綱等を四頭の為に負せ、八月十七日の暁天より同郡谷村へ押寄せた。其
の人数八九里の間引続き、幾万なるを知らず。先づ手初として同村の豪
家五軒を打毀ち、それより鶴瀬宿吉野屋、勝沼宿鍵屋、寄田宿巴屋の三
家へ焚出を命じ、若し否まば打破らんと云ふにより、彼等は何れも拠な
く焚出して兵粮の設けをした。
斯くて鶴瀬の関門を押通り、廿二日に、熊野堂村奥右衛門の宅、土蔵十
二戸前を打毀ち、二十三日巳刻甲府町へ押し寄せた時には、人数弥増し
て一万八九千人に及んだ。緑町竹原屋なる質屋を始めとし、呉服太物、
穀物商の家々十五六戸を乱妨し、見世、店、居宅、土蔵等、さんざんに
打毀ち、或は火を放つて焼き払つた。而して其火白洲へ移りて三四戸に
延焼し、甲府城内から鉄砲を打ちかけたから、一揆の内死傷三百人許り
を出した。
此に於て同勢退散して、巨摩郡の方に向ひ、鬨の声をあげ、鉦太鼓を打
鳴らし、処々の宿町打破りて、北山筋中郡辺を乱妨し、廿四日迄は、人
数増加するのみであつたが、代官西村貞太郎、山口鉄太郎、井上十左衛
門の手附、手代、足軽を出し。又た諏訪伊勢守よりも人数を出し、召捕
りしもの百七十余人に及んだ。其内には頭取並に頭取に差続くもの、又
おびや
た全く劫かされて附随した者もあつた。而して其余の者は、何れも
散り\゛/になりて、行方知れずになつた。其の死傷何れも何処の者と
も知れ難く、屍は仮理とした。一揆の携帯品刀、脇差六十四振、鉄砲一
ねうばち
挺、斧五挺、甲二つ、太鼓一つ、鐃釟三つ、十手の類十、何れも押収し
た。
抑も此の一揆の起つた原因は、都留一都は、従来水田少きのみならず、
本年の凶災にて皆無となつた。従来八代、山梨、巨摩の三郡、及び武州
八王子辺より、甲斐上之宿へ附出せし米穀を、都留郡の者共買取りて、
食料となし来つたところ。当年は処々の豪家、之を買占め、囲ひ置きて、
一切売らぬこととなしたから、憤激の余、遂ひに爆発に及んだのだ。
さて
却説、天保十年五月七日に至り、甲斐勤番支配永見伊予守は逼塞、代官
小沢勘兵衛、山口鉄五郎、西村貞太郎、井上十左衛門は小普請入逼塞、
又は差軽。一揆の輩は、磔四人、死罪九人、流罪三十八人、重追放八人、
入墨中追放一人、中追放五人、江戸十里四方追放一人、所払二十三人、
たゝき
入墨重敲二人、入墨敲三十九人、敲三十人、手錠六十四人、過料百廿九
人、其余村々名主、百姓組頭等、何れもそれ\゛/譴責せられた。
〔徳川太平記〕
元来此の一揆は、全く政治的意味なく、単に百姓一揆に止つたが、然も
其勢甚だ盛んにして、代官共の手に余り、傍近の大名共の出兵にて、漸
く鎮定した。
尚ほ天保七年十月、幕府は左の命令を発した。
近年引続き、米価高直にて、共日献ど者ども、一統困窮に及び候処、
当夏以来追々米直段引上げ、必至と及難儀、家財衣類等迄売払候て
も給続兼、住所にも離、及飢渇候程之ものは、此度為御救、神田佐
久間町河岸え小屋補理置候間、右小屋入申附候。尤朝夕賄之儀は、
町会所より被下候間、昼之内は銘々出稼いたし、元手を稼溜、凡百
日程相立候はゞ、銘々店持候様可致。尤格別之御仁恵を以被仰付候
儀に付、小屋内に罷在候内、風儀宜相慎罷在候様申付、其外諸事町
会所掛り差図可致候間、其旨可存、且俄に任所に離、未行倒候程に
は無之、及飢難儀いたし候者有之候はゞ、召連可訴出候。
但窮民御救小屋え入候儀は、両番所、並町会所え駈込、困窮申立候
ても、元居町役人相糺、実々及飢渇候程之儀、相違無之候はゞ、押
切書付相渡し遣、小屋入申付。尤右書付は、小屋場詰、名主ども方
え預可置事。
右之通申渡候間、其旨相心得、組合限不洩様可申達候。
又た同月、左の如く達した。
町奉行え
一 近年米直段高直之処、此節甚だ高直に相成、町方一統及困窮、
此節下直に不相成候ては、取続兼候趣相聞候。右に付米問屋共荷主
より預置候商ひ米有之候者、荷主共え掛合、貯不置、仲買に不限、
米商売人は勿論、素人えも最寄次第、直に売渡候様申付、若米囲置
候もの有之ば、町中より可訴出候。吟味之上、其米取上、従公儀御
払可被仰付候。
一 米下直に相成候迄、米問屋共仕入米之外、上方筋、地廻り共、
入津之米穀は勿論、雑穀等迄、問屋仲買に不限、素人にても勝手次
第、直に引受売買いたし、他国取引手広く相成候様可致候。
一 米買に参候者、直段相対いたし、ねだりケ間敷儀申間敷候。若
又理不尽成仕方も候はゞ、米屋より可訴出候。
右之通町中え可被相触候。
以上によりて如何に将軍の膝元たる江戸の小民が、窮迫の情態であつた
かゞ判知る。江戸且つ然り、況んや地方をや。観て此に至れば、甲州の
百姓一揆も決して偶然の事ではあるまい。
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