Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.5.7

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「大塩の乱関係論文集」目次


『近世日本国民史 文政天保時代』

その58

徳富猪一郎(1863-1957)著 民友社 1935

◇禁転載◇

    五八 官辺の行動

両奉行措 置 大阪城代 の措置 城代の城 内巡視 両奉行方 の手薄 組々防禦 措置 広瀬次左 衛門 天神橋切 落し

翻て官辺側の行動を見れば、跡部、堀の両奉行は、大塩の伯父大西与五郎に、 大塩を説き切腹せしめ、然らざれば差違へて、死せよと命じ、然も同人は養 子と共に逃亡したことは既記り通りだ。〔参照 五三〕 斯くて跡部、堀の両奉行は、如何に措置したる乎。   平八郎始、賊徒の者共、多人数手に\/白刃を携、或は大筒、小筒等烈   敷打掛、松明様の物打振、右往左往に立騒ぎ、追々組屋敷焼立、火勢強   く難近寄旨申聞候付、早速石渡彦太夫、御手洗伊右衛門(鉄炮奉行)へ   掛合、御鉄炮同心一同鉄炮を以、可払旨差図仕候得共、手足兼候付、猶   又遠藤但馬守へ掛合、両御番組与力、同心呼寄、種々手当云々。   〔跡部堀両奉行書取〕 されば彼等は先づ手を拱して、援兵を請うた訳らしい。無論彼等から此の事 を城代に報告したことは、云ふ迄もあるまい。 当時の大阪城代土井大炊頭利位は、天満方面の銃砲の音聞え、猛火各所に起 るを見て、跡部、堀の両町奉行、及び目付中川半左衛門、同犬塚太郎左衛門 に、暴徒の逮捕を命じ、打払、切捨苦しからざる旨を命じ。巳の中刻(午前 十時−十二時の間)玉造口定番遠藤但馬守、山里丸加番土井能登守、中小屋 加番井伊右京亮、青屋口米津伊勢守、雁木坂加番小笠原信濃守、東大番頭菅 沼織部正、西大番頭北條遠江守等を召集し、告げて曰く、平八郎暴動に付き、 町奉行、目付に、その鎮定を命じた。予は此れより本丸を巡視するから、各 方も宜しく準備あれと。当時京橋定番米倉丹後守、未だ著任せざるを以て、             玉造口定番、京橋口をも統べ、両定番の与力、同心全部を召集し、四加番は 何れも家臣を督し。又た東西大番頭は、組頭及び番衆全部を召集し、各持場 を固めた。午刻(正午)城代土井利位は定番、加番を随へ、西大番頭の導 もて、本丸を巡検し、具足奉行上田五兵衛、鉄炮奉行石渡彦太夫に命じ、具 足、鉄炮、及び玉薬の配賦に従はしめ、酉刻(午後六時)火災猛烈となるに 及び、再び定番を随へ本丸を巡視した。而して両目付中川、犬塚は、両町奉               しばし 行出兵後、城内を巡視し、又は数ば城外に出でゝ、現場を視察し、 之を城代に報告した。 さて 却説も跡部、堀の両奉行は、鉄砲同心の援助を請うたが、此れも石渡、御手 洗両奉行の配下各二十名に過ぎない。されば愈よ其の力の足らざるを見て、 玉造口定番遠藤但馬守に交渉して、其の援助を求めしめた。元来玉造口、京 橋口とも、与力二十騎、同心百人宛にて、当初は定番より是等は城を守る為                       ことわ めのものなれば、町奉行には貸すことは相成ぬと理りたれども、城代よりの 差図にて、漸く午後に至りて与力二人、同心三十人宛貸すこととした。而し てそれを引率して、大塩の焼き立る場所へ向つたのは、十九日午後四時頃で、 両奉行共、身ごしらへは、火事装束の下に著込み、家来も同様火事羽織の下 へは、具足鎖り鉢巻等にて出掛けた。〔今井克復談話〕  斯くて玉造組は、同心支配役坂本鉉之助、平与力蒲生熊次郎、本多為助二人 を誘ひ、同心三十人を率ゐ、与力には十匁筒、同心には三匁五分筒を携へし                             みち め、玉造口門外土橋の側に集合せしめ、之を率ゐて先づ発し、途に同心小頭 二人を召集し、城濠に沿ひ、東町奉行所に至つた。然も跡部は鉱之助等の来 援を促すこと、三回に及んだ。而して鉉之助等は、それ\゛/東町奉行所の 警戒を厳にし、それ\゛/防禦の手段を尽した。然るに京橋口同心支配広瀬 次左衛門、馬場佐十郎は、城門警衛の任に当る譜代同様の組にして、町奉行 の指揮に従ふは、組柄を辱しむるものであるとか、城門を離れて、奉行所を 守り、之に死するは、犬死に等しとか、種々の口実を設け、飽迄之を拒み、 尚ほ玉造口の坂本鉉之助を説いて、之に同意せしめんとしたが、鉉之助が応 じなかつたから、大いに怒りつゝも、今は是非なく与力二人、同心三十人を 率ゐて、再び東町奉行所門前に至つた。然も組支配広瀬次左衛門は、雪駄穿 きにて鉄炮さへも携へなかつたと云へば、其の泰平武士の模様、以て想ふ可 しだ。 跡部は自己組下の与力、同心に、大塩の与党あるを見て、頗る危惧の念を懐                                 おもんばか き、又た坂本鉉之助等の来援しても、其中に大塩一味の者あらんことを慮り、 遂ひに杣人足を遣して、天神橋を切落さしめた。

   
 


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