Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.5.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


『近世日本国民史 文政天保時代』

その59

徳富猪一郎(1863-1957)著 民友社 1935

◇禁転載◇

    五九 大塩と坂本

両人交際 大塩蜂起 当時の坂 本 皆大塩を 発頭人と 信ぜず 上屋敷よ り坂本呼 出 坂本東町 奉行所の 警固に赴 く 跡部の疑 念 坂本の遺 憾

此の騒動に際して、殆んど殊動者とも云ふ可き、玉造与力坂本鉉之助の所記 は、最も馮拠とするに足る。坂本は大塩と親友と云ふ程でなかつたが、其の 交際は、決して一通りではなかつた。その事は既記の通りだ〔参照 三〇〕。 乃ち其の関係の尋常でなかつたことは、天保元年、大塩が辞職後、坂本に答 へたる書中に、   任仰拙作相認さし上候間、御一覧可被下候。右は此度(尾州宗家訪問)   之新製に御座候。且帰坂後も俗客の来訪に者、殆ど困り、一向隠居之風   体に無之に付、決と存付、和州辺之山へ入、読書可仕、左候はゞ 自ら   風塵を真に避可申と存候。則今十六日より出宅、山へ参申候。最早俗態   は相厭申候、御推察可被下候。来陽にても一寸帰坂仕候はゞ、御知らせ   可申上候間、御出被下候はゞ、講論可仕と相楽申候。   〔天保元年十一月十六日附〕        わか とあるを見ても判知る。 大塩蜂起の当日、坂本は自宅裏の稽古場にて、大筒の丁打をするとて、火薬 の調合をして居り、門人や仲間の者も、参会してゐた。云ふ迄もなく坂本は 荻野流砲術家であつた。然るに五っ時過頃(午後八時過)三つ半鐘を聞き、 城内町家の火事と心付、月番なれば早速玉造門へ出勤の支度をして、門前に 出でたるに、『天満は大変にて、大塩様へ火矢を打込で、焼立候』と云うて、 小者が走り過ぎつゝ語つた。然も坂本は固より其の同僚も、大塩自身が一揆 の発頭人であらうとは信じなかつた。   大御番所へ参居候間、追々平月番本多為助、山寺三之助、小島鶴之丞も   出勤にて、扨為助申は、唯今出掛に、岡翁助に承り候へば、大塩平八郎   火矢炮烙を放ち、焼立乱妨之由、翁助申すにより、外は知らず、大塩に   於て左様の事致すべき人物には無之と及返答候と語るに付、貞(坂本)   も唯今出掛に、日雇小差の申事を聞て、合点の行ぬ事と思候。若しや左   様の騒動ならば、察する処、此米高の時節柄にて、悪徒ども困窮に逼り、   打こわしにても致すか、又百姓一揆にて、其中に、平八郎在役中に、何   ぞ遺恨にても含たるもの有て、一揆共平八郎宅を打こわしに懸りたるを、   平八郎も塾生抔沢山有故、夫を防戦して、騒動に及びし事か。左すれば   かねて規定の通り、与力一統、御門へ総出の心得無之てはなる間敷、若   其達有之節、他行抔ありては不念になり候間、平月番両人直に一統へ総   出の心懸申触置て可然と申談。〔咬菜秘記〕 此の如く坂本も、本多も、大塩は寧ろ被害者と考へてゐた。   無程貞を上屋敷より呼に参り、天満与力大塩平八郎大筒を放、放火乱妨   の体に候間、同心支配役一人、同心三十人、外に平与力両人、何れも鉄   砲を持、東町奉行所警固に罷越、鉄砲を以打払可申旨、畑佐秋之助(遠   藤但馬守用人)を以て、御達にて、同心支配役(坂本も其の一人)は貞   に参れとも、又同役中とも名指も無之、平与力も誰と申名指も無之事故、   差詰貞の遁れぬ所と存ぜば、拙者可罷越と申述候処、秋之助申は、夫は   別而御苦労千万に存ずると云々。〔同上〕 斯くて坂本は東町奉行所の警固に赴きたるに、   東役所の庭にて、防禦の手当を為し居たる時、山城守(跡部)被申候は、   唯今天神橋を切落して杣を遣したりと語られたる時、貞が了簡には、は   て合点の行ぬ指図を致されるもの哉。此御役所へ攻来を待て、かく防禦   の拵をする所に、天神橋を切落し、此所へ来らぬ様にするは、何故やら   んと、得心の参らぬ故、意不束の返辞を致たり。〔同上〕 此れは跡部が、単に其の組下なる東組の与力、同心を信ぜざるのみならず、 亦た坂本等も、大塩に一味せずやと疑うた為めであつた。   其子細は遥跡にて、遠藤殿御申には、最初の所は、鉉之助も、大塩一味   の中にては無之哉、其外玉造組与力、同心の中には、彼是一味の者も無   心元と、町奉行所にては、疑念ありたりと、御語りにて、其時初て合点   致し、成程左様に有之筈と心付たる也。〔同上〕 然も坂本は、跡部の此拳を、頗る遺憾に思うてゐた。   此方は橋の南の町家蔭に潜み伏して待請、橋を八九歩渡りたる所を、俄   に打捕なば、橋は長し、見通はよし、橋の上故、左右へ迯散ることは出   来ず、多分此所にて被捕、平八郎も打得べきものを、左すれば船場上町   は、一軒も焼かずに済むことにて、市民の難儀を救ふことも多分也し大   事の功を仕損じたり。〔同上〕  此れも一理と云はねばならぬ。

   
 


坂本鉉之助「咬菜秘記」その6


「近世日本国民史」目次/その58/その60

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