Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.1.7

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「大塩の乱関係論文集」目次


『近世日本国民史 文政天保時代』

その6

徳富猪一郎(1863-1957)著 民友社 1935

◇禁転載◇

第二章 文政度の貨幣改鋳
    六 弐分判の新鋳

忠成の新 貸鋳造 またも幕 府の財政 難 有金の減 少 文化十四 年の倹約 令 臨時御入 筋差延差 繰を命ず 右倹約令 の意義 新たに弐 分判を鋳 る 二分判を 通用令 弐歩判切 貨の事

松平定信の政治は、利を興すよりも、害を除くにあつた。田沼意 次の政治は、害には殆んど無頓著にて、唯だ利是れ興すにあつた。 水野忠成に至りては、田沼程の企画もなく、唯だ将軍の驕泰を助        びぼう 長して、一時を弥縫するにあつた。而して彼が功労として、将軍 より殊寵を被りたるは、専ら新貸を鋳造して、其の分合の差を以 て、焼眉の急ある財政を救うた一事だ。 寛政時代には、松平定信節倹の政治の結果、幕府の財政にも、若 干の余裕を生じ、其の宝庫には、若干の貯蓄も出で来つた。され ど文化の末、文政の始に至りては、幕府の持病とも云ふ可き財政 困難症に冒された。文化十四年には、勘定奉行服部伊賀守、古川 山城守上書して、財計頗る困乏、当年暮の有金高凡そ六十五万八 百六十余両に過ぎず、此れでは明年一切の支用を弁ずる能はざる 旨を陳べた。 要するに寛政度の有金に比すれば、四十二万八千九百両を減じた と云ふ。而して閣老諸有司策の出づる所を知らず、翌年に至りて、 遂ひに通貨通済の下策に出づることとなつた。即ち元禄年間、幕 府財政紊乱の例を開きたる、荻原重秀の故智を襲うたのだ。而し て此れが水野忠成が、勝手掛(文政元年二月二十九日)となりた る第一の施設であつた。 四月晦日附にて、左の如く倹約励行を、御勘定奉行に令した。                なかんづく   一 近年引続御倹約被仰付、就中去る申年(文化九年壬申)   厳敷御省略被仰付、御入用減方も有之候へ共、一体御勝手   向御充実に無之候処、打続不時之御物入等も莫大にて、恩   召之外、未御繰合も不宜。此通にては弥非常御備、又は御   家人御扶助等之御手支も難計、不容易事に付、猶又当寅年   (文政元年)より来々辰年(文政三年)迄、三ケ年之間、   改て御倹約被仰出候。   右に付ては天明七未年以来相達候通、只今迄諸向油断は無   之候へ共、御定高有之候迚も、臨時御入用之方にて相増候   へば、御出高に於ては、御倹約之詮無之候間、御定高にた   とひ不拘、銘々役所限之出精を以、御定高を可成丈相減候   様取計。仮令御入用筋被仰渡候ても、差延可然分、又は差   略いたし宜筋は、聊無遠慮、役所限之存寄、評議之趣、可   被申上候。尤役所々々御入用減方仕法、勘弁いたし可被申   聞候。惣て御政事向に付、御差支無之ため之御倹約にて候   得ば、下々之可及難儀品は、御趣意に相背候間、右之心得                        よろしく   を以、御倹約行届候様、器量一杯に存込、御為宜と存候儀   は、何ケ度も無遠慮申上候様可被致候。 此れを以て、幕府が真面目に倹約の政治を布くものと見るは、 未だ其の真相を看破したものではない。畢覚如何に幕府財政が 窮乏に陥り、その為めに経費節減、仕払繰延を実行するの余儀 なきに至つたかを、反証するものとして、始めて其の意義が分 明だ。 幕府は更らに同時に於て、新たに弐分判を鋳ることとした。即 ち真字弐分判だ。      大目付え   一 此度世上通用之ため、弐分判金、新規吹立被仰付候間、   右二歩判二つを以、金壱両之積り。尤銀銭とも、両替小判   壱歩判同様之割合に相心得、取交無滞可致通用候。                 しばし 松平信明在職中にも、金銀座から、屡ば改貸の議を提出した。 然も信明は持重して之を許さず、且つ曰く、金銀を悪くして国   すく 用を済ふは、国家の恥辱だ。苛も官之を行はんと欲せば、瓦片                      もち でも通用せしむるを得可し。何んぞ改鋳するを須ひんやと。然 も彼逝きて水野忠成其政を執るに至り、改鋳の議は、乃ち行は るゝに至つた。 文政元年五月、いよ\/弐分判を通用せしむることを令した。      大目付え   一 此度世上通用之ため吹立被仰付候、弐分判金之儀、来   月(六月)より通用可致候。尤先達相触候通、小判壱分判   え取交、無差別取引為致候條、通用差滞申間敷候事。                    きず   一 小判金之儀、年久敷相成、自然と瑕金等多く、世上難   儀之趣相聞候付、追て及沙汰候迄は、五分以上之切れ金は   勿論、其以下之瑕金にても無差別小判弐歩判、弐朱判取交、   無代にて引替可遣候間、武家在町共、所持之ものは、来月   十日より後藤三石衛門役所を始、別紙名前之者方え早々差   出、引替可申候。尤五分以下之瑕金通用方においては、是   迄之通に候間、心得違致間敷候事。   一 弐歩判切貨之儀、壱歩判同様に相心得、不相当之儀致   間敷旨、両替屋どもへ申付候間、其旨可相心得候事。   本町一丁目  後藤三右衛門役所   駿河町    三井次郎右衛門   本革屋町   三谷三九郎   上槙町    泉屋吉次郎   室町三丁目  竹原屋文右衛門   金吹町    播磨屋新右衛門   堀留町一丁目 升屋源四郎   大伝馬町   殿村屋佐五平 此の如く弐歩判新貨は、世上に通用せしむることとなつた。

   
 


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