Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.5.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


『近世日本国民史 文政天保時代』

その72

徳富猪一郎(1863-1957)著 民友社 1935

◇禁転載◇

    七二 大塩の檄文 (二)

蹶起已む べからず 米金配当 神武帝政 道に復せ ん 人民を困 窮致させ ず 天罰執行 対象は役 人と金持 湯武を理 想とす

大塩の檄文は、愈よ自から蹶起の已む可からざる所以を、左の如く喝破して ゐる。   蟄居の我等、最早勘忍難成、湯武之勢、孔孟之徳はなけれ共、無拠天下   のためと存、血族の禍をおかし、此度有志之ものと申合、下民を悩し苦   め候諸役人を先誅伐いたし、引続き驕に長じ居候大坂市中金持之町人共   を誅戮におよび可申候間、右之者共穴蔵に貯置候金銀鐘等、諸蔵屋敷内   に隠置候俵米、夫々分散配当いたし遣候間、摂河泉播之内、田畑所持不   致もの、たとへ所持いたし候共、父母妻子家内之養方難出来程之難渋者   へは、右金米等、取らせ遣候間、いつに而も大坂市中に騒動起り候と聞   伝へ候はゞ、里数を不厭、一刻も早く大坂へ向駈可参候。面々へ右米金   を分け遣し可申候。鉅橋鹿台の金粟を下民え被与候遺意にて、当時之饑   饉難義を相救遣はし、若又其内器量才力等有之者には夫々取立、無道之   者共を征伐いたし候軍役にも遣ひ申べく候。必一揆蜂起之企とは違ひ、   追々年貢諸役に至迄、軽くいたし、都而中興   神武帝御政道之通、寛政大度之取扱にいたし遣、年来驕奢淫逸の風俗を   一洗相改、質素に立戻り、四海万民いづれも天恩を難有存、父母妻子を   被養、生前之地獄を救ひ、死後の極楽成仏を眼前に見せ遣し、尭舜   天照皇太和之時代に復しがたく共、中興之気象恢復とて立戻り申べく候。   此書付村々へ一々しらせ度候へども、数多之事に付、最寄之人家多候大   村之御殿へ、張付置候間、大坂より廻し有之番人どもにしられざる様に   心懸、早々村々へ相触可申候。万一番人ども眼付、大坂四ケ所之奸人共   へ注進いたし候様子に候はゞ、遠慮なく面々申合、番人を不残打殺可申   候。若大騒動起り候を承ながら、疑惑いたし駈参不申、又は遅参及候   はゞ、金持之米金は皆火中之灰に相成、天下之宝を取失ひ申べく候間、   跡にて必我等を恨み、宝を捨る無道者と蔭言を不致様可致候。其為一   同触しらせ候。   尤是迄地頭村方にある年寄等にかゝはり候諸記録帳面頬は、都而引破焼   捨可申候。是往々深き慮ある事にて、人民を困窮為致不申積に候。乍去   此度の一挙、当朝平将門、明智光秀、漢土之劉裕、朱忠之謀反に類し   候と申者も、是非有之道理に候得共、我等一同心中に、天下国家を纂盗   いたし候慾念より起し候事には更に無之、日月星辰之神鑑にある事にて、   詰る所は、湯、武、漠高祖、明太祖、民を弔、君を誅し、天罰を執行候   誠心而已にて、若疑しく覚候はゞ、我等之所業終候処を、爾等眼を開て   看。    但し此書付、小前之者へは、道場坊主或医者等より篤と読聞せ可申、    若庄屋年寄、眼前之禍を畏、一己隠し候はゞ、追て急度其罪可行候。    奉天命致天討候。   天保八丁酉年 月 日       某    摂河泉播村々     庄屋年寄百姓並小前百姓共へ 以上が即ち彼の檄文だ。此にて見れば彼の対象は、役人と金持だ。平たく詳 に云へば、大阪の町奉行と、大阪の金持町人だ。彼等の行為が、人民に不利 であるから、天に代りて人民の為めに、誅戮を加ふると云ふことだ。而して 大名の倉米や、金持の穴倉に貯へたる金銀や、悉く之を人民に分配するから、 いざ大阪に騒動起りたりと聞かば、直ちに駈け付けよと云ふに止まる。 此れが果して彼の本音とすれば、大塩は決して幕府顛覆を心掛けたのでなく、 皇政復古の運動を開始したのでもない。自から一揆蜂起の企とは違ふと云ふ が、只だ百姓一揆は無学者の本能的発作であり、大塩の一揆は、学者の意識 的動作であ忍の相違あるのみだ。固より檄文の中には、神武帝御政道とか、 天照皇太紳とかの文句あれども、彼は楠公を以て自から擬したのでなく、湯 武を理想とした。即ち『民を弔ひ君を誅す』が、彼の目的であつた。此処に 君とあるは、徳川幕府の主宰者たる将軍でなく、寧ろ其下にある吏僚を斥し たることは、改めて断る迄もない。

      ――――――――――――――――――     大塩は奸雄にして用ふべき者 大塩後素が如きは、国事犯の叛賊匪徒なれども、予が外祖父(○前大 阪東町奉行彦坂和泉守紹芳)及び高井山城守に任用せられし時は、十 分の伎倆をふるひ、公に対して、いさゝかも不軌を挟まず、豊田貢等 を捕縛する、他人の決して為し得ざる及びがたき成功を建てたり。然 るに跡部、堀などの豚犬等これを馭するに至て、彼れそのともに為す べからざるを知つて、これをすてゝ事を発す。平八郎如きは、よくこ れを使用さへすれば、何処までも為す有るの豪傑也。近藤守重また然 り。これらの人々はみな真の英雄にはあらざるも、奸雄にして用ふべ きもの共なれば、術策を善くする人、その上に立てこれを鞭ずれば、 驥足を展して不平を洩らし、その脚色を虚にする事はあるまじきか。 〔燈前一睡夢〕   ――――――――――――――――――

   
 


檄文


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