大塩の直接行動を起したる動機、目的、主旨、心事などに就ては、上記の
如く〔参照、四五。七一−七三〕彼是紛々たる諸説ありとするも、其の影
響に至りては、何人も之を無視する訳には参らなかつた。当時藤田東湖が、
此事に就て、人に与へたる書中に、左の通りの文句がある。
扨今日、佐藤捨蔵(一斎)へ対面、一々承候処、平八 (大塩)の心
中、愚察に少も相違不仕、誠に大胆不敵の事共に御座候。堀伊賀守
(大阪西町奉行)は、林大学頭のむこに候間、事情悉く相分申候。平
八の謀ぐれ候は、全く御当代御厚運にて、天と奉存候。是迄は天にて
押ぬき候間、此上は右を幸に、天下の人気をふるひ起し、一世の武備
を修め、弥太平を持張候儀、当今の急務勿論に存候処、貴諭の通り、
人々如夢控居候段、憤激此事に奉存候。平八たとひ一旦はグレ候とも、
いよいよ召捕に不相成内は、決而油断不相成候。
三月五日 たけき
硯鳳君
此れは天保八年三月五日、即ち大塩騒動以来、二週間余の後の日附にて、
未だ大塩の行衛相ひ分らざる時のものだ。抑も佐藤一斎が、如何なる見解
を大塩の心中に下した乎。東湖の所謂る愚察なるものは、如何なるもので
しば
あつた乎。そは姑らく措き、流石に東湖は之を好機として、天下の人心を
振起し、一世の武備を整備せんと期した。惟ふに当時東湖と共に、此感を
すくな
同くしたものは、決して鮮くなかつたであらう。
当時如何に武備が廃弛したるかは、左の替歌、落首等を見れば、自から一
斑が想像せらるゝ。
一 大坂天満の真中で、馬から逆さに落た時(堀落馬した、跡部も落
馬したと云ふ)こんな弱い武士見た事アない、鼻紙三帖唯捨た。
又た曰く、
はやりしんぐいぶし
大塩押出す大番具足が無いイ コレサ 鉄砲ぽん\/火が降る、
鑓が降る、ヤレコレサ 逃げ支度
城グイ\/
石火矢とん\/一面火に成 ノウコレサ □□(遠藤)肝を潰す、
たまげる、まごつく、ヤレコレサ 逃暮す シングイ\/
跡部まごつく、息子が切られる 胴からサ、向ふに見ゆる火矢の姻か
家根からサ 坊がねる シングイ\/
跡部何をする、大手をかためる、ノウコレサ こわいながらも、
上帯〆るか ヤレコレサ 死に懸る シングイ\/
要するに大塩事件は、天下に向つて、徳川幕府の武備機関が、如何に壊廃
したるかを、遺憾なく暴露せしめた。如上の俚謡を見ても、如何に街頭の
人に迄、平生武士とか、侍とか、旗本とか、威張りつゝあつた者が、いざ
となれば周章狼狽、町の鳶の者にさへ及ばざる真相を、看破せられたかゞ
判知る。
元来大塩の党与は、二十三人(今井克復の談話)に過ぎなかつた。然るに
彼等は、白昼公然、武装して大阪市中を横行し、其意の欲する所を逞うせ
しめ、漸く半日余を過ぎて、之が鎮定に出掛けた。如何に太平の世の中と
は云へ、余りに油断も甚だしきではない乎。
唯だ此の一事によりて、徳川幕府は、白蟻より喰ひ潰されつゝある家屋の
如く、表向は立派なる大極柱を建てつゝも、其の内は全く空洞となつてゐ
つゝあることを、暴露するに至つた。乃ち此の一挙は、徳川幕府の弱点を、
天下に向つて暴露せしむるに至つた。更らに此れより甚だしきは、此の一
挙が、徳川幕府に向つて、鼎の軽重を問うたことだ。
慶長の末、元和の初、大阪両陣落著後―島原の一揆は別として―徳川政府
に向つて、小にもせよ大にもせよ、公然反抗したものは無かつた。固より
強訴とか、百姓一揆とか云ふ頬は各所にあつたが、檄文を草し、君を誅し
民を弔ふと云ふ旗幟の下に、直接行動を試みたものは、只だ大塩の一挙を
以て、其の皮切りとせねばならぬ。
何人も徳川氏の法度を侵す可からざるは、尚ほ天に階して上る可からざる
が如きものと思はしめた。然るに此の一挙は、確かに徳川氏の法度に向つ
て、一撃を加へたるものにして、若し其の効果に就て論ぜば、実に徳川制
度破壊の第一著にして、天下に向て、徳川氏亦た与し易しとの、実物教育
を与へたるものと云はねばならぬ。乃ち此の意味に於て、此の事件は、維
新回天史に、極めて重要なる関係あるものと云はねばならぬ。
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騒乱当時奉行所の周章方
高麗橋筋谷町の辺に、豊島屋門蔵といへる下宿を渡世とする者あり。
此者天満の火事を聞くと其儘、直に東御役所へ走行きしに、門を閉
ぢて敲けども明くることなく、誰有つて答ふる者もなかりしにぞ、
詮方なく引取り、夫より天満なる火元へ走付けしに、思の外なる大
変なれば、直に引返し、又御役所へ到り、けはしく御門を敲きぬれ
共、始めの如くにて更に答ふる者なければ、又すご\/と我家へ引
取りしが、昼前に至りて又走行きしに、此時漸と御門開けて有りし
にぞ、門内に走入りしに、何れも大狼狽へに狼狽へ廻りて騒々しき
事なりしが、門蔵が面を見ると、其儘、やれ門蔵か、よく来てくれ
し、早くこゝに上りて玄関に在る鉄炮に玉薬を込めくれよ。御奉行
には早朝より御城入にて未だ御帰なしとて、何れも狼狽へ廻れる計
りなるにぞ、門蔵は心得しとて、鉄炮を取上げ、之に玉葵を込入れ
しに、筒の中錆付きしと見えて、其玉途中に滞り、いかんともなし
難かりしといふ。此事を右門蔵が外にて語りぬるを委しく聞きし故、
こゝに記し置きぬ。此騒動を見ながら半日計りも入城をなして何の
用かあるや。此一事にても、其臆病未練にして此度の難に遇ひて諸
人思はぎる苦しみを受けぬる事の、全く手後れし故なりといふ事を
思ひ計るべし。〔浮世の有様〕
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