大塩の乱 その3 |
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大 塩 の 乱 に 付 豊 島 屋 門 蔵 の 咄 |
高麗橋筋谷町の辺に、豊島屋門蔵 *1 といへる下宿を渡世とする者有り。此者天満の火事を聞くと其儘、直に東御役所へ走行きしに、門を閉て敲けども明くることなく、誰有つて答ふる者もなかりしにぞ、 詮方なくて引取、夫より天満なる火元へ走付しに、思の外なる大変なれば直に引返し、又御役所へ到りけはしく御門を敲きぬれ共、始めの如くにて更に答ふる者なければ、又すご\/と我家へ引取りしが、昼前に至りて又走行きしに、此時漸と御門開けて有りしにぞ、 門内へ走入りしに、何れも大狼狽へに狼狽へ廻りて、騒々しき事なりしが、門蔵が面を見ると其儘、「やれ門蔵かよく来てくれし。早くこゝに上りて玄関に在る鉄炮に玉薬を込めくれよ。御奉行には早朝より御城入にて未だ御帰なし」とて、何れも狼狽へ廻れる計りなるにぞ、門蔵は心得しとて、鉄炮を取あげ之に王薬を込入れしに、筒の中錆付きしと見えて其玉途中に滞り、いかんともなし難かりしといふ。此事を右門蔵が外にて語りぬるを委しく聞し故こゝに記し置きぬ。 此騒動を見ながら、半日計りも入城をなして何の用が有るや、此一事にても其臆病未練にして、此度の難に逢ひて諸人思はざる苦るしみを受けぬる事の、全く手後れし故なりといふ事を思ひ計るべし。 兵書に云く、「上兵は謀を以て伐ち、其次は交戦で伐つ。将と成りて謀なき者は匹夫をも搏こと能はず」といへるは、かゝる事をいへる事ならんか。
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兵 法 を 論 ず |
大塩平八郎が乱妨狼籍せるを捕押へる事は、始にもいへる如く、袋中の鼠を捕ふるに等しきものなり。かくいへば此度の騒動近辺は、諸屋敷にして町屋建連なり、昔よりしていへる処の小路軍なれば至つて六ケ敷く、決して、鉾火繰懸り、一行二裏などといふども、之を備へぬる場所さへもなし。 いかんぞこれを川崎にしで防ぐ事のなるべきや抔、思へる兵家者流の名家もあるべけれ共、こは只彼我の弁へなくして、
(◆には図がはいる) かくの如くなる備なれば、道幅狭くして人家建連りし処にては、決して備へ難き事なりと思ふべし。こは只其形に括らるゝものにして、兵に千辺万化ありぬることを知らざるが故なり。其千辺万化ありと雖、其人に非れば士卒をして、よく手足の腹身に於けるが如くに使ひて、其用をなさしむること能はず。此の故に三軍の敗は狐疑の心より生じ、数万の兵を【鹿/金】にするも良将の方寸にあり。剛臆・智愚・勝敗の別有る事を知るべし。彼に白起が勇謀有るにもあらざれば、我に馬服子が真似にてもなせる程の者にてもあらば、それにて事は足りぬべき事なるに、夫さへなくして悪党共、弓・鉄炮・槍・長刀等にて乱妨・狼藉し、そこら辺りを焼立て人敷の程相分らずと、公辺迄を驚かし奉りしかば、将軍家にも百三十里を隔てし処にて、諸侯に命じ官府の四方を固めさせ給ひしといふ、恐入るべき事に非ずや。これ皆当所の諸司臆病未練にして、是を討取る事能ざる上に人敷の見積さへ得せで、大狼狽にうろたへぬる臆病風を関東迄も吹せぬる者なり。 若大塩が行方知れずして、此者手廻らざる間は飽く迄も国家の費え多く、公儀の御仕置も立ち難し。浅ましき事といふべし。予其任に与るものに非ざれば、これを評するも益なき事にあれども、理の趣く処斯くの如くなれば、後の世に至りて子孫たる者の心得にもなれかしと、嘆息しながらに之を記し置きぬるものなり。必ずしも異人に見せて、之を批評せらるゝ事なかるべし。 *2
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由 井 正 雪 と |
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大 塩 平 八 郎 |
*2 三一版にはここに「頭書」がはいる。