大塩騒動に関する落首 その1 |
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大 塩 騒 動 に 関 す る 落 首 |
大塩が船場へどつと打込みてその引塩の跡はしらなみ 乱妨狼藉をなして、其日より直に影を隠して悪徒の行衛知れざる故、何時又乱妨なしに出来らんも計り難しとて、諸人安き心もあらざるに、御奉行よりは四方八方に手配(てくばり)をなして厳しく探し給へ共、少の手掛りなくて、世間大に騒動をなしぬる故にや
大塩は先年切支丹の仕置せし事故、彼書を見、邪法をそらんじてありぬる故、其邪法にて此度の騒動をなし、又よく姿をも隠しぬる者ならん抔とて、種々の風説ありしにや
又天神橋南詰焼場に建てたる仮小屋に片仮名のイの字を書きて イ 判じ物 如此といふ。こは上はゆがみて下は直(すぐ)也といへる事なりとぞ。
大塩南都へ落行て、興福寺に在りと告ぐる者有りしにぞ、直に召捕に向ひぬれ共、興福寺より之を渡さゞる故、「何故かゝる大罪人を渡さずといふや」と咎めければ、「彼れは大罪人なれば此方にて仕置するなり」と答しにぞ、「何故にさはいへるぞ」と尋ねぬるに、「彼は仰山にしかを殺せし大罪人なり」といひしとぞ。
大阪にて非人共を垣外と云ひ、天王寺・飛田・道頓堀の四ケ所に住する故、これを下略してしかといふ。大塩が勤役中此者共の悪党を大勢召捕りて仕置せし事あり。其事をいへるなるべし。
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