Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.1.15

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「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

大塩騒動に関する落首 その1

   
 










 

    騒勤後処々方々へ張捨てありしといへる落首、聞きし侭を記す
此度大塩己れが所持せる処の書物、悉く売払ひ、貧人へ施行せし故にや

    大塩が持つたる本を売払ひこれぞむほんの始めなりけり
朝岡助之丞といへる与力は、大塩が直に向ひにて、この家に石火矢を最初一番に打込みし故にや

    向ひ浅岡お茶のみにお出で、大塩がこわうてよう参じませぬ。鉄炮かたげて槍しつし

    大塩が船場へどつと打込みてその引塩の跡はしらなみ

乱妨狼藉をなして、其日より直に影を隠して悪徒の行衛知れざる故、何時又乱妨なしに出来らんも計り難しとて、諸人安き心もあらざるに、御奉行よりは四方八方に手配(てくばり)をなして厳しく探し給へ共、少の手掛りなくて、世間大に騒動をなしぬる故にや

    ちよつと出て颯と引きたる大塩が又も来るやと跡べ騒動

大塩は先年切支丹の仕置せし事故、彼書を見、邪法をそらんじてありぬる故、其邪法にて此度の騒動をなし、又よく姿をも隠しぬる者ならん抔とて、種々の風説ありしにや

    わが為か人の為かは知らねども切支丹やら何したんやら

 又天神橋南詰焼場に建てたる仮小屋に片仮名のイの字を書きて

 イ 判じ物 如此といふ。こは上はゆがみて下は直(すぐ)也といへる事なりとぞ。

    又落し咄
昨年よりの飢饉にて諸人大に困窮し、飢に苦しめる事故、何卒して之を救ひやらんと思ひしに、思の外に火矢がそれて、貧乏人迄を丸焼にせしに、我を悪み恨みもせずして、大塩さん\/と何れももてはやしくるゝ程、我は至つて気の毒に思ひぬれば、何卒今より後はさんといふ事を薩張とやめにして、大塩ドンというてもらいたい

大塩南都へ落行て、興福寺に在りと告ぐる者有りしにぞ、直に召捕に向ひぬれ共、興福寺より之を渡さゞる故、「何故かゝる大罪人を渡さずといふや」と咎めければ、「彼れは大罪人なれば此方にて仕置するなり」と答しにぞ、「何故にさはいへるぞ」と尋ねぬるに、「彼は仰山にしかを殺せし大罪人なり」といひしとぞ。

大阪にて非人共を垣外と云ひ、天王寺・飛田・道頓堀の四ケ所に住する故、これを下略してしかといふ。大塩が勤役中此者共の悪党を大勢召捕りて仕置せし事あり。其事をいへるなるべし。

 


「大塩騒動に関する落首」 その2
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