大塩騒動に関する落首 その2 |
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大 塩 一 件 戯 薬 法 |
一、抑々此苦為利(クスリ)の儀は、往古国々にて調合致し、専ら取行ひ候処、慶長・元和の頃より堅く御制禁に相成り、暫く中絶仕候処、其後肥前島原表に於て勢方(せいはう)有之候得共、元手薄く一揆尽候由、猶又東国にて由井・丸橋と申両人摧肺肝約味大方相調ひ店開き日限等も相定まり候処、弓師の手より筈こぼれ致し、誅力にて粉薬と相成候。 右の輩は全く焼く法に疎き故の儀と存じ、我等此度木筒を尽し、火薬夥しく用意致し、救民を匙に遣ひ、秘方の一味の上、猶又桐紫檀等を細末にして加薬仕り、和漢の遺書に不抱滅法を旨といたし、勢方仕候分に候へば、店開の節は、神儒仏の三尊円を不恐、仁義五常円を忘却致し専ら乱妨を用ひ、持丸金蔵丹を掠取る事自在也、尤も上を犯し下を痛むる事殷の如し。 功能。第一産後の婦人逆上する事妙なり。小児の恐怖或は見失ひ事、老人眩暈(めまひ)・立くらみ・足痿える事妙なり。首切の家賃は元主の咽に詰り可申候。丸焼のものは昼夜妻子と共に愁歎の泪出申すべく候。小気なる者は立所に病臥し可申候。如何程丈夫なる人にても、又は間のあるものも少々のビク付は可有之、別けて大病人は一両日の内埒明可申候。
用ゐ様 各々前車の覆へるを水にて用ゆ。但し向ふみずともよし。
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