大塩騒動に関する落首 その5 |
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米 価 調 節 の 失 敗 |
騒動有つて後は、堂島の相場を上よりして押へ給へる事なければ、三月十日頃には二百三十目となる。迚も上次第になし置かるゝ事ならば、昨年の冬騰り次第にして捨置なば、諸国よりして米も積登せべき事なるに、騰れは押へ上れは押へせられし故、国々の相場に比すれは大阪の相場大に賤しき故、米を沢山に持ちたる国々も直段引合ずして、外にて米を売払へる方の余程利を得る事なれば、頓と登せる事なかりし事と思はる。 此節米相場上り次第なれども、上より之を捨置るゝ故、諸屋敷に囲ひし米をも売出すやうになりぬ。三月半過よりして京都へ積出す米も、勝手次第にせよとてこれを許されしといふ。 さ有るときは、大塩が捨文の中 にいへる事に当れるやうにて、何とやらん怪しき様に思はれぬ。 とてもかゝる程の事なりせば、去年米相場騰り次第にして為し置れなば、諸国よりして相応に当地へ米を持込みて、此節は却て価安き米を食らへる事ならんに、是非もなき次第といふべし。 此度思ひがけなく焼打にせられ、難渋に及べる者も、多くは大塩様々々々といひて之を恨める色なく、却て御奉行の事は切腹をせられたり。三日の仕度にて五日の道中にて江戸より急御召なり。又は町家となれ合ひて米を買占められしなど種々様々の風説をなす。怪しむべき事なり。 先月騒動の日、両御奉行共御家内は残らず玉造へ御立退にて御定番の下やしきは大混雑の事なりしといふ。
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