Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.6.14

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「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

雀鳩物語 その1

   
 











  雀鳩物語 烏鷺のはなしに傚ふ

風清らなる夏の日、庭前の古松の蔭に床机をすゑ涼みとる折から、茂みたる小枝に雀一羽囀りたるに、又山鳩こう\/と鳴く。己れ公治長にあらね共、耳をすまして聞取るに、雀の言ふやう、

「夫学問の道は孝を本とし、身を修め家を斉へ、国を治め天下を平にする理を切磋する者と聞くに、去る如月浪華の大変、其張本たる男平生は見台を扣き、孔孟の伝授を講じながら、いかに天魔の業なりとて、言語道断なる有様、中々諸国の騒動にも及び、浪花市中は数百人の難渋、中々口に述べ難し。

論語読の論語知らずの輩(やから)より、何事も論語よまずこそ心安けれ。学問ほど恐しきものはあらじ。向後こちの息子も四書の素読にて、悪人に仕込んで貰うてはたまらず、学校の講釈も聞く人なく、学者らしき人といへば煙草一服・茶の一杯も出さばこそ、早々箒を立てて、いんだ跡には塩ふらん計り、まだなんぞそこらに失物はないかと。

ぞゝ神立てのあしらひ、先々御互さんに書物といふもの習はなんだが身の仕合と、一犬ほゆれば万犬と、是も文盲なる仁には尤なる事なり。

中に物いふ老人が、彼は本筋の学文を習うたじやない。陽明とて唐土の悪人が拵へた学文ぢやげな。此御仕置が付いたら、御公儀より定めて御制禁も、仰出さるゝであろといふ市中の評判、我等も勧学院の軒先きにて蒙求も少し囀りたる身なれば、斯様にまで味噌・胡椒丸呑には致さず、

然しながら山鳩翁には、御若年の頃より三枝の孝道にも礼を尽し給ひ、八幡大神にも御忠信を尽され給ひて、我等風情の糊を食ひ、舌切の刑に処せられたる仲間内などこれ有りたるとは格別の沙汰なり。何分彼奸人いかなる学問の間違にて、かくまでに大悪人となりたることや、翁には何と思召されけるぞや」と問ふ。

 
 







山鳩大に笑ひていふ、

「癡なる哉汝の問や。されど汝も我もかゝる大変、烟りに咽び鉄炮の響に胸を轟かし、汝が栖とせる軒瓦もさん\゛/の為体(ていたらく)、我等が仲間抔の板部屋も暫時に焼落ち、且近来違作年々打続き、稲田の落穂抔もきめ細かに拾ひ歩き、鳴子守の勤め方怠らず、

又我等が仲間八幡御堂の撒米する婆様・お乳母などもとんと紙袋を持参せず、仏飯に屋根の上へ散飯する者も信者と雖、此節はとんとせず。汝も我も難渋の折柄口の端の穿鑿、中々左やうなるしや六ケ敷き儀は説くに暇なし。

然れども今市中の一かど、孔明顔してゐる仁がやはり汝の言の如く、学問すれば悪しくなるといふ人が多い。

昔より反逆人・悪逆人など大和・唐土共に皆学者上達の仁あり。是は訳有る事なり、中々此度の奸賊抔の心底とは違ひなり。又一かどの大和尚が平人に劣りたる所行もあるなり。強(あなが)ち学者計りが善人にては決してなき道理は、心意の向ふ所一足違ひより大取はづしに成り、是は今一つ目が届かぬ故なり。

又商人連中寄合の中へ学問の旨を語れば、今時左様なる無欲の馬鹿ではいけぬといふ。

僧仲間にて独り清僧立交れば、偏固の和尚といふが如し。大かた宜からぬことを凡俗はよき事と思ひ、恐ろしからぬ事を平常の人は滅多無上に恐しがり、恐るることは恐ろしがらす、平生見る事聞く事皆異風にみゆる故、油に水の入れたる如く成る。

 
 





此故に学者には郷党にかはりたる事は悪しきというて戒むるは、昔程伊川先生と同明道先生と同道にて、町内の寄合に行かれたり。芸妓を呼びに遣りたる人あり、伊川は立つて直様帰られたり。明道はにこ\/面白き気色にて、余人と同道にて帰られたり。此処明道先生の一目が上なりと、学者評判したり。

又陽明先生の学派を学べば人が悪しく成るといふ戯者(たはけもの)に、何を聞かせても聞取り難き者なれど、先陽明先生とは明の代の一大儒にて、少しも悪人抔にはあらず。

 
 




此度の御仕置が追つてあるとも、此学風御停止なるといふ事は決してなき筈なり。

日本第一近江聖人と称す中江藤樹といへるは、今以て墓前へ月参するもの、近在の男女遠を厭はず尊仰して、常にも参詣致し度しといへば、農作に出づる百姓にても袴を著し教へてくるゝなり。此門人より歴々の学者も出づる中には、道中の馬方・雲助の類迄、我も我も是迄かゝる有難き、孔子様の道といふことを聞くものかと涙を流し、向後是迄の博奕・酒・女抔ふつ\/と止めにいたし、門人と成りたる中に名高き熊沢先生といふも出来て、備前侯の師匠となりたり。

石田勘平・手島堵庵など沢山此一流の大学者なり。中にも堵庵先生は呉服屋の丁稚なり。今にても手島の講釈といふて其末あり。婆児共にも通ずるやうに説かれたり。

然れば此学風御制禁ある事決してなきなり。何某の諸侯の御国に一時法度有りたるは、是も段々様子有る事なり。今はなし。殊更この学問日用世に効あること、挙げて数へ難し。

 


「雀鳩物語」 その2
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