Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.8.19訂正
2000.12.4

玄関へ「浮世の有様」目次(抄)


「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

六月の天候

     
 





 

同十四日頃より稲の様子も至つて宜しき故、米の直段追々に下落して、最上よりは五十匁計り下る。

廿四日より夕立の催あれ共、雷鳴のみにて雨なし。

廿六日申の刻小雨、直に止む。

廿七日午の刻雨、直に止み暫く暴風吹き、申の刻少雨 近国・近在は夕立多く、川々水つき至つて乏しき処、少々水出て一面の泥水と成る。備前・備中・作州・四国辺は時々大雨にて、洪水一時に出で、昨年の如き大水なども一時の暴水故、田地の障りにはならずといふ。直に止む。

当年は天気の都合至つて宜しく、土用に入つて旱り続き、稲株大に太り豊作の様子なり。

廿八日申の刻雨、終夜降通しにて廿九日午の刻迄大雨、午後よりして折々少雨、申刻に至りて止む。

廿七日の小雨暴風ありしより、廿八日至つて涼し。単物にて寒き位なりしかば、又米価五十匁程貴くなる、全く姦人共の仕業なるべし。

廿九日大塩が残党大西与五郎・大井庄一郎・吉見九郎右衞門・竹上万太郎・安田図書・美吉屋五郎兵衛并に妻、都合七人江戸召下しとなる。*1

 
     


管理人註
*1 『大塩平八郎一件書留』(国立史料館編 東京大学出版会 1987)解題によると、大西与五郎・大井正一郎・吉見九郎右衞門・竹上万太郎・安田図書・美吉屋五郎兵衛、同妻つねの7人が、7月16日江戸召呼、吉見・竹上・大西・安田は揚屋入、吉見・竹上は同日細川家来預、大井・美吉屋夫妻は入牢。「七月の日次」参照。


「浮世の有様」大塩の乱関係目次

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ